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※ダテサナ前提ですが信幸←くのいちです。
勝ちの見えた篭城戦ほど寄手にとって退屈な戦はない。こういう時ほど気を引き締めねば、そう心の中で呟いてはみたものの、さて自分が手にしているのが酒がなみなみ注がれた盃であることに幾分か苦笑し、幸村は一気にそれを呷った。
これから落ちるであろう城を肴にこのような振る舞いは不謹慎かも知れぬが、いよいよ己が身を寄せる主家が名実共に天を握る瞬間がやってきたのだ。
気を許せる友と過ごす戦勝の前祝い。兼続の声は普段よりも随分高かったし、三成も僅かに頬を上気させていた。つまり自分達は少なからず酔っ払っていた訳で、この手の話題には噂話がうってつけなのは今も昔も変わらない。
進軍中には度々起こっていた小競り合いも小田原に陣を構えてからはぱったりとなくなったし、秀吉は戦中ということも念頭にないかのように、始終人の良さそうな笑い声を響かせていた。自分如きに関白殿下の考えは量りかねるが、隠し切れぬ退屈に突如降って湧いた過日の出来事は余所の陣でも相当話題に上っている筈だ、幸村は思い出す。
独眼竜と称された奥州の王、伊達政宗が小田原に参陣したのは、つい先日のことであった。
「国許がごたついていると言い訳ばかりでこの日を延ばした挙句の参陣。秀吉様は何故あの政宗を放っておくのか」
「うむ、正に不義の所業!その行い、最早山犬の名に相応しいと言えよう!」
膠着状態の長陣はどうしても気が緩む。政宗の参陣を自分が不必要なまでに反芻してしまうのも物珍しさ故、そう考えれば致し方あるまい。
傲岸と誹られても不思議ない不敵な笑みを湛えたままで、政宗はゆったりと幸村の目の前を通り過ぎた。もしも自分に絵心があったのならば、彼の人の意匠を凝らした戦装束を書き留められるのに。そんな詮無き願いを抱かせた政宗の立ち居振る舞いに心中感嘆を送る。
政宗は事前に秀吉に会っていたのだ、と聞かされた。既に遅参の許しを得、あの一連の行動は秀吉様による遊び心を含んだ示威行為のようなものだ、そんな噂すら実しやかに流れていた。本当だろうか。それが真だったとしても、少なくとも政宗の首筋に扇子を当てた瞬間の秀吉の殺気は本物だった。間違いない、その手のことを自分が違えることはない。
「あのふてぶてしい態度が特に気に入らぬ!不義の山犬め、謙信公の毘と私の義の前に滅するが良い!」
「謙信と貴様の義はさておき、秀吉様に平伏したのを見て少しだけ溜飲が下がった。少しだけだがな」
あれだけの殺気を受け止めて、尚且つ声を上げ平伏した政宗に素直に驚いた。己であれば、声はおろか指一本動かせぬのではないか。あれが綿密な打ち合わせの上行われた小芝居であるというならば、尚更。まさかありったけの殺気を叩き付けるなどと秀吉は事前に洩らさなかっただろうし、一瞬でも殺意を向けた相手から目を逸らし平伏するのは恐ろしい。つまり、秀吉は政宗の器を試したのだ。
下座にちょこんと座る幸村からは、頭を下げる政宗の表情が良く見えた。
こくり、と何かを飲み下すように咽喉が動き、政宗の唇が歪む。地面に頭を擦り付けながら、実に愉快で堪らない、幸村には政宗がそう言っているのが分かった。政宗にだけは秀吉の殺気が正確に伝わっているのだろう。
確かに彼は、兼続が主張するように虎視眈々と天を狙っており、三成が抱いた油断ならぬ梟雄という印象は間違ってないかも知れぬ。
だが、政宗と秀吉の間には、あの一瞬確かに「遊び心を含んだ示威行為」の応酬があり、それは互いを満足させる結果に終わったのだ。恐らくは、事前に関白と打ち合わせ済みなどという噂を流したのも、秀吉自身ではないだろうか。
傍近くに控えていた三成にも、聡明な兼続にも見抜けなかった両者の攻防。
それは、腹の探りないなど己の領分ではないと端から切り捨て、また諦めてもいた(故に心の何処かで蔑んですらいた)幸村の目には、とても鮮やかな印象を残した。膝を交え、また刃を交わすことだけが心からの遣り取りではないと。あのように互いを認め合う者も居るのだ。
槍を振るうことのみにしか生きてこなかった自分が、随分矮小な生き物に見えた。
その槍を握る掌をじっと見詰めていたら、ふと影が差し、幸村は慌てて視線を上げる。目の前に心配そうな三成と兼続の顔があった。
「あの、如何なされましたか?」
「それは俺の台詞だ、幸村。話し掛けても俯いてぼんやりするばかりで、何処か具合でも悪いのか?」
それはいかん!と熱を測ろうとする兼続を笑顔で制し、幸村は首を振る。が、三成の言葉にその動きをぴたりと止めた。
「で、伊達政宗という男、お前の目にはどう映った」
大変堂々となさっていて、私にはとんと分かりませぬが出で立ちも大層御立派で、秀吉様と比べても全く遜色ない御姿に少しだけ悲しくなりました。
あと少し酒が余計に入っていたら、そう答えていたかもしれぬ。
「よく分かりませぬ」口の中だけでもごもご呟いたら「ふむ、噂話は不義ということか。全く幸村らしい」と笑われ、心の底から居た堪れなくなった。
「え?何ですかそれ。どーゆーこと、幸村様」
腑に落ちない気持ちを整理させるのに、この娘はそういう意味では都合がいい。いつもより少々多めに盃を重ねたにも拘らず、終ぞ酔えぬまま陣に戻った幸村を出迎えたのは、真田忍のくのいちだった。
友二人に口にし得なかった台詞を独り言つように打ち明けたら、途端くのいちが珍しく真面目な顔になり、最後には眉間に皺まで寄っていた。
「はい、しつもーん。何で幸村様が悲しくならなきゃいけないんですかあ?」
私には出来ぬと思って。彼のお方とあのような遣り取りをすることなど自分には一生無いのだ、そんなことをずっと思っていたら。
「それで悲しくなっちゃった?政宗が小田原着いて結構経つよ。酒の肴に噂話なら兎も角、幸村様、毎日毎日そんなこと思い出してるの?」
先程の渋い表情は何処へやら。幸村に詰め寄ったくのいちが盛大に噴出した。ごっめーんなどと口では言っているが、肩は震えているし眦には涙まで浮かんでいる。何が何やら分からぬがとりあえず笑うな、と制そうとしたら、くのいちが先手を取った。
「幸村様、ああいうの、好みなんだね」
「は?」
「え。だって、あのちびっ子のこと、好きになっちゃったんでしょ?幸村様」
頭が、真白になった。
あの後くのいちと二つ三つ言葉を交わしたような気もするが、覚えていない。
好きになった。
酷く身勝手で(素行に些かの問題はあるものの)出来の良すぎる忍が、全く同じ台詞を吐きながら盛大に泣きじゃくったのは数年前のこと。幸村様幸村様といつも後をくっついてきた可愛い妹分だったのに。
「好きになっちゃったんだもん、しょーがないよ」
だから、一緒になんて行けない。ねえ、幸村様があたしを雇ってよ。
根拠のない希望も夢もあっさり捨て去った彼女の恋はその殆どが諦めで構成されているようで、却って美しく見えたのだ。
もう、二度と、こんな風には呼ばない。涙を拭いたくのいちはきっぱりとそう言った。幸村が見たこともないような顔で。
だから最後に幸村様が、聞いて。中身なんてぜんっぜん違う癖に、あの人そっくりな顔をして。
「信幸、さま」
無邪気な忍の顔をしながら、幸村を隠れ蓑にそっと兄の背ばかりを追っていたくのいちは、振り向きもせぬ人の名を掠れた声で口にして、小さく笑った。
幸村様はこんな可愛い女の子が泣いてるっていうのに、何も出来ないんですね。おろおろするだけの幸村をくのいちはぐしゃぐしゃの顔でそう揶揄ったが、言い訳をさせて貰えば彼女の頬に未だ光る雫に触れても良いのは自分ではない、そう思ったのだ。
あれ以来、お調子者で一途な彼女の口から、兄の名を聞いたことは無い。「幸村様のおにーさま」「稲ちんのダンナ様」彼女は信幸をそう呼ぶ。
切なかった。
信幸と自分自身の間に必ず第三者を挟まずには居られない彼女のことを思うと、切なかった。
「駄目だよ、幸村様。幸村様にはちゃんと出来るじゃない」
昨夜くのいちは必死な顔でそんなことを訴えてはいなかっただろうか。だが何が出来ると。
秀吉に跪いて尚、堂々としていた政宗の所作には、自分の入る余地など何処にもなかった。名を呼ぶ権利どころか、その視界に入れる理由もない。
それに気付いただけで足元の地面すら歪んで見える。
こんな恐ろしいものが恋なのだろうか。
抑えきれぬ憧憬を涙と共にそっと流したくのいちの恋は、だってあんなに綺麗だったじゃないか。
ごめんなさい、やっちゃいました。信くの。どっちも大好きです。
くの子は報われないかもしれませんが、幸せになって欲しいです。ちょびっと続きます。
(08/11/18)