※義トリオ+梵天のこども四人組があれこれします。佐吉編。
自室で大人しく絵本を読んでいた佐吉は、ふむ、と大きく一つ頷くと絵本を小脇に抱えて立ち上がった。行き先は左近の部屋。
何だかんだで言うことを聞いてくれる大人を、子供は正確に嗅ぎ分けることが出来るものだ。
「左近、おれはおつかいがしたいのだ!」
すぱん、と小気味良く襖を開けた佐吉に、左近達の視線が集まる。左近達――そう、新聞をぼんやり広げる左近の傍には、これまた見るとは無しに雑誌を眺める舞野兵庫助と、昼のワイドショーに釘付けの蒲生郷舎の姿があった。石田家三家老、大集結である。
「…お使い?急にどうしたんですかい、殿」
「これをよんだところによると、どうやらおれでもできそうではないか」
誇らしげに絵本を掲げ、佐吉が言う。
「おれも、ひとりで、おつかいがしてみたいのだ!」
また面倒が起きそうだ、心中そう呟く左近に対して、兵庫助と郷舎、二人の家臣は熱かった。
「殿!何とご立派なお志!これで石田家も安泰でございますなあ!」
諸手を挙げて佐吉の決意を歓迎するは兵庫助。
「うむ、さすがは我らが殿におわす!我ら一生、殿についていく所存!存分に買い物なされませ!」
こちらはうんうん、と満足気に頷く郷舎。
「な、ちょ、あんたらそんな無責任に!」
左近の台詞は、佐吉どころか同僚にも届きそうにない。
「おれはなにをかったらよいのだ?」
左近の読んでいた新聞の上に座って嬉しそうに自分を見上げてくる佐吉に、左近は己の敗北を悟り。
――こうして佐吉のはじめてのおつかいは幕を開けたのだった。
牛乳を買って来い、そう指令を受け「はじめてのおつかい」に向かう佐吉より、それを取り巻く三家老の方が余程忙しかった。
「左近殿、カメラは何処じゃ?」
「おれ?おかしいね。ここにあったと思ったんですが」
「おお!ここにありまするぞ!…って電池が切れそうではないか!」
三家老が大騒ぎをしている隙に、佐吉は五百円玉を貰ってそれを大事そうに真新しい財布に入れた。財布には落とさないように紐が付いており、首から下げられるようになっている。今度はそれを慎重に自分の首にかけて
「左近、おれは、さいふもじゅんびしたのだ」
財布を両手で誇らしげに叩き、胸を張ってみせる。
「殿!そのまま!そのお姿を写真に収めますぞ!」
と郷舎の声に固まる佐吉。そこへ兵庫助もやってきた。
「ビデオとやらを見つけましたぞ!これで殿のお姿を録画できる筈じゃ。やってくれ、左近殿」
見つけはしたが、操作は分からないらしい。左近は早速カメラを回す。
「殿、何か動いてくださいよ」
「…こうか?左近」
両手をぶらぶらさせる佐吉に今度は郷舎が
「待った!殿、動かないでください!」
「ちょ、録画しているんですから動かなきゃ意味がないでしょう」
「何を言うか、左近殿。写真がブれてしまうではないか!」
そんな調子で玄関先で行われていた撮影会に最初に飽きたのは、当然(というべきであろう、やはり)被写体の佐吉だった。
「もうよい!おれはいまから、かいものにいくのだ!きさまらにつきあっているじかんなどない!」
折角はじめてのおつかいという大冒険の前なのに。佐吉は思う。この家老達は佐吉のよく分からないところで大騒ぎをして、それが佐吉の癇に障るのだ。もしも自分がしっかりおつかいを成し遂げたら、左近は、郷舎や兵庫助は、誉めてくれるだろうか。
おつかいが終わったら自分はもっともっと大人になって、三人の言っていることが分かるのだろうか。
未だカメラを構える左近とシャッターを切る郷舎を睨むと、佐吉はそのまま身を翻して玄関を飛び出していった。
「と、殿!」
財布を首から提げて駆け出した佐吉を、見事にハモった三家老の声が追う。
「殿が行ってしまわれた!どうしたらいいのだ、左近殿!」
「追い駆けますか、今ならまだ間に合う筈ですよ」
カメラを抱えあたふたと走り出す左近と郷舎の慌てぶりに、「一人でお使いなのだから追い駆けたら殿の機嫌を損ねるのでは?」とつい言いそびれ、一緒に佐吉を追ってしまう兵庫助だった。
結局そのまま三家老は、すぐに佐吉に追い付いたもののこっぴどく叱られた。当然だ。
しかしここで引き下がる三家老ではない。
「うぬう。このままでは殿がどんな危ない目に遭うか分からぬ」
頭を抱える郷舎。佐吉の危機の可能性とあってか左近の軍略が光る。
「殿の後をこっそりつけましょう。幸いカメラも持ってきていることですし?」
今日の軍略は冴えなかったばかりか、佐吉の勇姿を録画することしか頭になさそうな左近。
「そうじゃそうじゃ。おお!殿が道を曲がられますぞ!」
そんな軍略とも呼べぬ軍略なのに、手を打って喜ぶ兵庫助が少し痛ましい。
そんな駄目な大人達を尻目に、佐吉は交叉点の角を曲がる。スーパーまでの道のりはしっかりと頭の中に入っているようだ。
「今のところ車の往来も少ないですし、特に問題は…っと」
電柱の影に身を潜め(大人三人隠れきれる訳はないのだが、左近たちは隠れているつもりだし、勿論通りすがる他人の訝しげな視線など何処吹く風である)佐吉を見張っていた左近が軽く舌打ちをした。
「どうなされた、左近殿?」
「殿の進行方向に、地べたに座り込んでいる子供がいるでしょう?あれ多分弁丸ですよ。よく見えませんが」
「何?弁丸殿といえば殿の御友人ではないか?!」
先を行く佐吉が弁丸に気付いたらしい。顔を上げるとぱたぱたと走り出す。
「ああ!そんなに走られて!転びでもしたらどうなさるのだ!」
そう言いながらも郷舎はカメラを覗き込んでいる。転んだら転んだでいいシャッターチャンスだとでも思っているのだろう。
「弁丸!」
郷舎の期待に反して、無事弁丸の許に辿り着いた佐吉が声を掛ける。地面を熱心に見ていた弁丸が、顔を上げた。
「これはさきちどの。どうなさったのですか?」
「おれはひとりでおつかいにいくところなのだ」
少し誇らしそうに答える佐吉。弁丸に嬉しそうに報告する佐吉は微笑ましいが、問題はここからだ。左近は思う。
「弁丸は何をしているのだ?」
ほらきた。いや、ここまでは会話の流れからして当然だろう。だがここで、弁丸が佐吉の興味を引くようなことを言わないとも限らない。四方や無いとは思うが、一緒に遊び出したら。
その時こそ、俺の軍略の見せ所ですかね。
「べんまるは、ありのすをみておりました」
「ありのすだと?」
微妙だ。佐吉は虫が好きではない。が、蟻なら悲鳴を上げて逃げるほど嫌いという訳でもない。
「はい。ありのすに、みずをいれるのです。ちちうえがおしえてくれた、あそびなのです」
弁丸の右手には如雨露が握られている。ゾウを模った子供用如雨露で、一体どれだけの蟻を虐殺してきたのか、考えるだに恐ろしい。
「きょうはもう、むっつもありのすをほろぼしたのです!みずぜめにございまする!」
「そうか、弁丸…ええと、がんばれよ?」
「はい!がんばります!」
幸い佐吉の興味は蟻の巣には向かなかったらしい。辛うじて弁丸に激励の言葉をかけると、その場を後にする佐吉を見て、電柱の影から野太い歓声が上がったのは言うまでもない。
第一の障害物・弁丸を華麗に(左近達にはそう見えた)かわした佐吉だったが、最大の難関がもう立ち塞がった。
「これは佐吉ではないか!ここで出会えたのも義の導きによるものだな!」
義と愛の子供・与六である。
「与六ではないか、なにをしているのだ?」
「ふむ!良い質問だ!私はこの付近を回り、この紙を辺り一面に貼っていたのだ!」
そういうと与六は紙の束を佐吉に差し出した。
「…の…てなど?そなたの?…なんだこれは」
「『ゴミのポイ捨てなど言語道断!そなたの義が見ているぞ!』と書かれている!昨夜私が夜中までかかって書き上げたものだ!」
確かに与六が通ってきたと思われる道には、何とも語呂の悪い標語が書かれた紙がセロテープで留められている。
しかも家々の塀に無理に貼ったものだから、既に剥がれ風に舞っているものまである始末。ポイ捨て禁止の貼紙がポイ捨てされているようでは、お話にもならない。
勿論そんなことお構い無しの与六は、義と愛についていつも通り佐吉に熱弁を揮っている。なかなか終わりそうにない与六の話に、真っ先に痺れを切らしたのは郷舎だった。
「何事じゃ、あれは誰ぞ?」
「樋口与六、一応殿の御友人ですよ。ほら、上杉のところの」
左近が説明する。兵庫助が何かを思い出したように手を打った。
「与六、そうか、与六というのか。あ奴はなかなか手強い子供だぞ」
「おや、知っているんですかい?兵庫助殿」
「先日俺の自転車の泥除けに『義』と書いたシールを貼られたのだ。捕まえて叱ったが、貴様の義が足らぬと噛み付かれた上に論破された」
与六の活動(?)は微に入り細に入り行われているようだ。
左近は、そんな与六の活動や、兵庫助が子供に口で負けたことより、むしろ論破されるまで兵庫助が与六と話したという事実に感心した。
「因みにその時はどのくらい与六と話したんですかい?」
「うぬ、凡そ三時間は下らんじゃろうな」
「何と!それではもしも与六とやらが話し込んだら、殿の買い物が滞ってしまうではないか!」
郷舎が叫び声を上げる。
「ちょ、郷舎殿!殿に気付かれますよ!」
左近が慌てて口を塞いだが、佐吉は特にこちらを振り返ることなく与六の話に耳を傾けている。というかおそらく目の前であのように叫ばれたら、他の声など耳に入らないであろう。
驚く程の声量を誇る与六に、一瞬だけ感謝する三家老。しかし感謝してもいられない。与六そのものが既に佐吉の買い物には傷害なのである。
「俺に策があるんですがね。ちょっと耳を貸してくれますか?」
まるでこれから天下分け目の合戦に臨むような表情で呟く左近に力強く頷き返した郷舎と兵庫助は、電柱の影で器用に円陣を組むと、おもむろに作戦を練り始めたのだった。
大の大人三人が顔つき合わせて考えた作戦は、なんともお粗末なものであった。
「まずわしが向こうへ回って『不義の輩だ!』と叫ぶ」
腕組みをしながら何度も作戦内容を確認するのは郷舎である。
「少し咽喉を潰して叫ぶのを忘れないでくださいよ、殿に知られたら元も子もない」
「分かっておる。郷舎の次に俺が『これは困った何処かに義に溢れた戦士はおらぬか?!』と言うのじゃな」
「それで与六さんはそちらに飛んでいくって寸法だ。そうしたら二人がかりで足止めをお願いしますよ。できれば殿が追ってきても大丈夫なように叫んだ場所から少し移動してくださいね。その間は俺がカメラを回し続けますよ」
と、あくまで録画をやめない三家老。
何故か固く握手を交わすと、郷舎と兵庫助は持ち場に向かっていった。
「不義の輩だ!」
与六の声が響く住宅街に、郷舎の声がこだまする。こんな短い台詞なのに明らかに棒読みと分かるのは一種の才能か。
「これは困った!何処かに義に溢れた戦士はおらぬか?!」
一方の兵庫助は何だかノリノリだ。そんな兵庫助の迫真の演技も空しく、与六は動こうとしない。
「そしてこれは、一昨日の私が考えた義の振り付けなのだがな!ではそこで大人しく見ていろ、佐吉!」
与六は自作の義の歌に振り付けまでつけて佐吉に披露していたところだったのだ。
こうなると困るのは三家老である。郷舎や兵庫助の叫びに反応してくれなければこの策はもうお仕舞いであるし、左近だって与六の義ダンスを撮る為にカメラを回しているわけではない。
「不義の輩だ!」
「これは困った!何処かに義に溢れた戦士はおらぬか?!」
とりあえずもう一回ずつ叫んでみる二人。
サビを歌い上げている与六は目を閉じて陶酔の表情を浮かべており、全く気付かない。
「これ「不義の輩だ!」は困った!何処かに義に溢れた戦士「不義の輩だ!」はおらぬか?!」
こうなればもう順序など関係ない。我を忘れ騒ぎまくる郷舎と兵庫助。互いの矜持が激しくぶつかり合い、正に戦の様相である。
「与六、どこからか『ふぎ』とさけぶこえがきこえぬか?」
それがどこかで聞いた声なのだが、とは言えず、熱心に歌う与六におずおずと佐吉がそう告げると
「然も在りなん!この私の義の歌にかぶせて叫ぶとは、全く不義の輩めが!」
与六はそう言ったきり、更に声量を上げ、結局自作の義の歌37番までを歌い切ったのであった。
義の歌を歌って満足したのか与六は満面の笑みで手を振ると、そのまま紙の束を抱え路地に消えていった。
「左近殿、これならわざわざわしらが出ることはなかったんじゃないのか?」
「ま、そういうこともあるってことでね。おっと殿が歩き出しましたよ」
なんとも無責任な左近の言い草だが、郷舎も兵庫助も慣れているのかそれとも心から気にしていないのか(多分後者)これ以上の突っ込みもなく、三人は黙々と佐吉の後を追う。
「殿も着々とスーパーに近付いておられるご様子。このまま何事も無ければいいが」
兵庫助の言葉に頷く家老達だったが、実はこの時佐吉の頭の中では大変なことが起こっていたのだ。
(…おれはなにをしていたのだ?)
いや何も小さな佐吉が、己の存在意義だとか行動原理だとかを追求しているわけではない。与六のペースに巻き込まれ、それでもどこか律儀な佐吉は義の歌をしっかりと聞き、時には手拍子までしてやり。
そして忘れたのだ、自分が今何をしていたのかを。
(えっと、与六とあそんで、いえにかえるのだったか?)
左近辺りが聞いたら「違ーう!」と0.02秒の速さで突っ込まれそうだが、生憎さすがの左近も佐吉の心の中でも読むことは出来ぬ。
小首を傾げ歩みを止めようとした矢先、佐吉の胸辺りに、こつんと、小さく当たった物があった。首から提げた小さな財布。
(そうだ。おれはかいものにいくところであったのだ)
買い物といえばスーパーだ。
そう考えた佐吉は、そのままスーパーへの道を邁進する。だが佐吉も、もちろん三家老も気付かない。
スーパーで一体何を買うべきだったかさえ、佐吉が忘れてしまったことを。
ブログに上げっぱなしだったこどもむそうのおつかい編。纏めてみました。
なんつーか、私石田家の三家老がすっげ好きなんだなーって思いました。
一人でのおつかいにしてしまったので、佐吉が動かしにくくてすごく辛かったんでしたっけ。
あとこの頃私の中ですごい佐吉ブームが来ていた。今でも佐吉は問答無用で萌えます。
(08/05/06〜初出 09/01/06加筆)