※義トリオ+梵天のこども四人組があれこれします。梵天と弁丸編。
父と兄の声に見送られて弁丸は玄関のドアをぱたん、と閉めた。いつもは行儀の良い弁丸が「いってきます」の挨拶すらしなかったのには訳がある。
「たんさんでんち、みたらしだんご、じこくひょう、たんさんでんち、みたらしだんご、じこくひょう」
弁丸の口の中で繰り返される三つの単語。それはとてもとても難しかったので、声を出すと忘れてしまいそうになるのだ。さっきは靴を履いただけで一つ忘れてしまい、玄関先で父に再度教えてもらったばかりだ。
弁丸が、全く関係なさそうなこの三つのもので頭をいっぱいにしているのには訳がある。そう、今日は弁丸のはじめてのおつかいの日、なのだ。
おつかいがしてみたい。弁丸が父・昌幸にそう訴えたのは、佐吉のお使い話を聞いてそれからさほども経たぬ日のことだった。
「さきちどのが、ぎゅうにゅうをかったそうです!べんまるもぎゅうにゅうがのみたいです!」
「牛乳なら冷蔵庫に入っておるぞ、弁丸」
「ちがうのです。さきちどのはごじぶんで、かったのです。じぶんのぎゅうにゅうです!」
こんな調子だったので、随分時間はかかったが、それでも弁丸の熱意は伝わったらしい。
「何じゃ、弁丸も一人でお使いに行ってみたいのか」
昌幸の言葉に顔を輝かせる弁丸。こくこくと大きく何度も頷きながら昌幸の傍を跳ね回る。
「しかし同じ牛乳では面白みに欠けるしのう」
何やら思案顔で首を捻っていた昌幸であったが、やがてふと思いつくと弁丸にこう聞いた。
「折角じゃ。一番近い店などではなく、少し歩いたところにある大きいスーパーに行ってみとうはないか?弁丸」
弁丸の家から歩いて行けるスーパーには二つある。一つは佐吉も行った最寄のスーパー。大抵の食料品はここで買うことができるが、あくまで普通のスーパーである。
そしてもう一つは、スーパーと言うよりは小さめのショッピングセンターに近い。1階には食料品も勿論あるが、2階には服や雑貨、3階には本屋と玩具屋があり、弁丸は時々昌幸にここに連れて行って貰うのが何より楽しみだった。
普段は絶対に一人では行ってはいけないと言い聞かせられているそこに、行っても良い、そう昌幸は言う。弁丸にとってはまるで夢のような事態だ。但し、
「たくさんお店があるからのう、弁丸が買い物をするのは少々難しいぞ?」
「だいじょうぶにございまする!べんまるはきちんとかいものをしてみせます!」
鼻息荒くそう言う弁丸に、昌幸は買うものを教えてくれた。
まずは単三電池。昨日弁丸の玩具の電池が切れたのだ。「これを買わぬと弁丸のあひるも動かぬわい」父にそう言われ弁丸は「たんさんでんち」という言葉を胸に深く刻み込んだ。
でんちはあひるさんにとって、ごはんみたいなものだと、あにうえもいっておられました。
昨日から動けないでいるあひるを、があがあとうるさい、いつものあひるにしてあげなければ。弁丸の闘志に火が付く。
次に昌幸が挙げたのはみたらし団子であった。
スーパーの脇にある持ち帰り専門のちょっとした食べ物屋で弁丸もよく団子やアイスを買ってもらう。「あそこのだんごをかってもよいのですか?」そうはしゃぐ弁丸に昌幸は笑いながら頷いた。「弁丸がお使いを終えて帰ってきたら皆で食おうぞ」そう昌幸は言う。
すごいすごい。おつかいってこんなにいいことだらけでなんだかすごい。拍手し出した弁丸に「人数分だぞ」と釘を刺すのも昌幸は忘れない。
最後に聞いた買う物はちょっと弁丸にはよく分からなかった。「じこくひょう」というものを買って来て欲しい、と昌幸が言ったが、弁丸は「じこくひょう」という言葉を聞いたことがない。首を傾げる弁丸に、本屋にあるものじゃ、と昌幸が告げる。本屋で時刻表と聞けば大丈夫じゃ、弁丸にはやはり良く分からなかったが「ほんやでじこくひょう」という件だけは丸暗記した。
「…父上、いくら何でも時刻表は多分無理です」
それまで黙って聞いていた兄・信幸がさすがに昌幸に突っ込む。
「電池も種類が多いし、わざわざ団子を指定することもないでしょう?それに加えて時刻表なんて絶対無理ですよ」
「何を言うか、信幸。やってみなければ分からぬではないか」
「分かります。弁丸が混乱するのを見て楽しむおつもりでしょう?」
やれやれと嘆息する信幸。父は昔からそうだ。この素直な弟を目に入れても痛くないほど可愛がっているのも分かるが、もう少し手加減出来ぬものか。大体時刻表なんて全然必要ないではないか。私がしっかりしなくては。
「弁丸、せめて電池はしっかり買わないとあひるさんが動かないよ?」
兄の心労も知らず「はい!」と元気に返事した弁丸は、にこにこと買い物の支度を始めるのだった。
さて、梵天丸が一人で歩く弁丸を見つけた時、梵天丸は家の前の道路にしゃがみこんで落書きをして遊んでいるところだった。
「弁丸」
歩いていた弁丸が顔を上げる。そのまま梵天丸の姿を認めると、すぐに駆け寄ってきた。
「ぼんてんまるどの!」
「散歩か?弁丸」
「いいえ、ちがいまする!」
弁丸が梵天丸を見てにんまりと笑う。
「べんまるは、かいものにいくのです!」
「ほう、買い物か」
佐吉が先日、色々な大騒ぎを繰り広げながら買い物の任務を完遂したのを梵天丸は知っていた。恐らくはそれを聞いた弁丸も真似てみたくなったのだろう。弁丸は随分張り切っているようだし、梵天丸も大仰に驚いた振りをしてやる。
「何を買うのだ?」
確か佐吉は買うものを忘れて困ったのだったな。…まあ、一番困ったのはあの家臣達に振り回された儂じゃろうがな。
「べんまるは、たくさん、かうのです!あひるしゃんのごはんも!でんちも!」
「たくさん?」
「あっちのおみせにいってもよいのです」
弁丸が買わんとするものは全く伝わらなかったが、行きたい店は理解できた梵天丸。店自体はそう遠くはないが弁丸には少々難易度が高すぎないか、そう思う。恐らくはあの父親が無理難題を申し付けたのであろう。何度も弁丸の家に遊びに行くうちに、昌幸の恐ろしさを少しずつ分かってきた梵天丸である。
「儂もついて行って良いか?」
何だか忍びない。多分弁丸は店に辿り着く前に何かに気をとられてリタイアになるか、辿り着いても何をどうしたらいいか分からなくてやはりリタイアか、あるいは金を落とすかもしれぬし、ああ、世の中は(弁丸にとっては)こんなに危険に満ち満ちておるではないか。自分の妄想に思わずもらい泣きしそうになった梵天丸に弁丸は不思議そうに首を傾げたが、それでも嬉しそうに頷いた。
「はい!もちろんにございまする!」
いくら何でも一人であのようなところに行かせて大丈夫だっただろうか、弁丸はきちんと買い物できるだろうか、出来なくても良い、無事帰ってきたらそれだけでたくさん誉めてあげよう。
そう考えながらも先程からおろおろと落ち着きない信幸に昌幸が声を掛けた。
「弁丸なら大丈夫じゃぞ。少しは落ち着け、信幸」
「そうは申されますが、父上」
「弁丸なら伊達の小倅と一緒だわい。もうすぐ店に着くじゃろう」
父はずっと自室にいた筈である。何故弁丸の行動を逐一知っているのか。
「忍に後を付けさせておるわい。いくらなんでも最近物騒だしのう」
物騒なのはこの家と父上なのです、と口が裂けても言えない信幸だった。
信幸が本気で真田家の謎に悩んでいた頃、弁丸と梵天丸は既にスーパーの入り口に到着していた。とは言ってもここまでスムーズに来た訳ではない。
道端で猫を見つけた弁丸が後を追おうとして走り出したのを梵天丸が必死で止めたり、空き地に生えている雑草をぶちぶち千切ってはばら撒いて、きゃっきゃっとはしゃぐ弁丸を諭して歩かせたり、二人で交互に蹴っていた小石が側溝に落ちてしまい、どちらの所為かで少し不穏な空気になったり。
子供の足からするとやや遠めなその店に辿り着くまでに、少しだけテンションが下がってしまっていた弁丸であったが、店内に通じる自動ドアの前に立つと急に自分の使命を思い出したのであろう。「はふー」と妙な声を上げ、辺りを見渡した。
「で、弁丸は何を買うのじゃ」
そう、それが分からねば話は進まない。弁丸は眉間に皺を寄せて考えていたが、やがておもむろに口を開いた。
「…ひょー?」
「ひょー?」
鸚鵡返しに聞く梵天丸。そんな商品、聞いたことがない。
「ほんやさんで、…ひょー?みょー?にょー?」
左右に首を傾げながら、ひょーだのみょーだの調子をとって言う様はまるでお遊戯をする幼児のようだ。梵天丸も釣られて首を傾けるがそれでは何も分からぬ。
「兎に角本屋、なのじゃな?間違いないな?」
弁丸の目的がさっぱり分からない梵天丸だが、弁丸に正しく買い物できるとは微塵も思っていない。それでも本屋に連れて行かねばならないだろう。
もし弁丸一人だったら、ここでひょーだのみょーだの言いながら佇んでいたのではないか。ああ、本当に付いて来て良かった。胸を撫で下ろす梵天丸である。
「本屋は三階じゃ。行くぞ」
そういうと梵天丸は、未だ首を振りながらにゃーにゃー言っている弁丸の手を取ってエスカレーターへ向かうのだった。
なんてすごい。三階に着いた弁丸は丸い目を更にまあるくさせて立ち止まった。
たくさん並んでいるふわふわのぬいぐるみ。あそこにあるのは弁丸も毎週テレビで見ている戦隊モノの変身グッズだ。ぴかぴか光る武器もあるではないか。それにそれにずっと欲しかったゲーム機。
突如目を輝かせた弁丸に、梵天丸は心底後悔した。しまった、三階には玩具売り場があったのだった。
勿論玩具には梵天丸とて抗えない魅力があるのだが、さすがに彼はここまで来た目的を忘れなかった。エスカレーターから降りたまま一歩も動かず、きらきらした目で玩具を見詰める弁丸の注意を逸らさなければ。そう思った矢先だった。
「あ、こら!弁丸!」
梵天丸の手を振り払った弁丸が玩具屋に突入した。だけではない。そのまま陳列してあるおもちゃを拾い上げ、遊び始めたではないか。
「弁丸、本屋に行くのであろう?」
弁丸の手から怪獣を象ったビニール製の人形を取り上げそう諭す。生意気にもこちらを睨んでくる弁丸は、梵天丸の言葉など聞いていない。人形を取り返すのに必死である。
「弁丸が買わねばならぬものは本屋にあるんじゃろう?」
もう一度そう言ってやると、何かを思い出したのか目を逸らす。
「…ほんやではありませぬ。ここです」
「ほう、ならばここで何を買うのだ?」
嘘を吐くならもう少し上手く吐いてみせよ、そう思いつつ少々意地悪な気持ちにもなって弁丸に聞いてみる。確かに自分は弁丸に買い物なぞ出来っこないと思っていたが、まさか店内に入ってから僅か五分も経たぬうちに挫折するとは。
梵天丸に問い詰められた弁丸の目が、言い訳の材料を探すかのように店内をくるくる見回す。と、何かに目を留め。
「うぃー」
「は?」
「うぃーにございまする。かうものは、うぃーです!」
弁丸が目も逸らさずに凝視しているのはゲーム機。それも本体。いやいや、それは無理があるだろう。年端も行かないこんな子供に、ゲーム機本体を買うて来いと大金を渡す親が何処にいるのだ。そう思った梵天丸は一瞬昌幸の顔を思い浮かべた。あの父ならその可能性は全くのゼロではないだろうが、今回に限ってそれはない、だろう、多分。
「…そうではないじゃろう?弁丸」
少々きつい口調で諭すようにそう言うと、弁丸はすぐに大人しくなった。それでも小さく「ういー」と繰り返している。未練がましく潤んだ目で自分を見詰める弁丸に正直押し切られそうになった梵天丸だが、そこは日頃から何だかんだで共に過ごしてきた二人。弁丸の扱い方は心得ている。
負けじとじっと弁丸を睨むと、徐々に弁丸が頭を垂れ。
「…べんまるはうそをつきました…ごめんなさい…」
小さな声で謝罪する。分かってくれて良かった。ほっとしながらも爪先立ちになって手を伸ばし、頭を撫でてやると今度はこっちを見てにっこり笑う。先程まで遊んでいた怪獣の玩具を手にとって。
「かうのは、こちらでした!べんまる、まちがえておりました!」
「馬鹿な!弁丸、いくら何でもそれは…」
「これです!ちちうえが、これをかってこいとおっしゃったのです!」
「…本当か?」
「ほんとうです!」
頭を抱える梵天丸。常識的に考えるなら、可愛い息子のはじめてのおつかいに、よりにもよってウル○ラ怪獣の人形を買って来いという親がいるだろうか。いや、いない。しかし、相手は真田である。
それに先程W○iを欲しがった弁丸と比べても、今度は嘘を言っているようにも見えぬ。どういうことだ、儂は弁丸を止めるべきなのか?
「あ!またまちがえました!」
怪獣を無造作に放り投げた弁丸が手に取ったものは、大きな犬のぬいぐるみ。
「いや、ちょっと待て、弁丸!それは嘘じゃろう!」
「ではこちらでいいです」
こちらでいいってどういうことだ!梵天丸の叫びを物ともせず弁丸が抱えているのは、戦隊モノの主人公が持っている武器。
「…ちょっと互いに落ち着くか。弁丸」
「いやです!べんまるはこれはほしいのです!」
「やっぱりお主自分が欲しいものを言うておったのではないか!」
「いまのはうそです!ちちうえがほしいそうです!ちちうえがー!あとあにうえもー!」
父上、父上と泣き叫ぶ弁丸に、こちらも疲労感たっぷりにいっそ泣いたら楽だろうか、と思ってしまう梵天丸。弁丸が抱えている玩具には980円と値札が貼ってあって。弁丸に付いてくる時、自分の財布を持って来たのだった。小遣いは先日貰ったばかりだから、財布の中には確か1500円は入っていた筈。
「…分かった、分かったから。それは儂が買うてやるから…」
頼むからその破壊的な声で泣き叫ぶのは勘弁してくれ。
ぴたり、泣き止んだと同時に顔を綻ばせた弁丸に、早速レジまで連行されながら、梵天丸はこのまま帰ってしまおうかと本気で悩んでしまうのだった。
玩具を買ってもらった弁丸は、もうすっかり大はしゃぎである。
「ぼんてんまるどの!はやくこれであそびましょう!」
そう叫びながら床に座り込んで玩具の包装を破ろうとし出した弁丸だったが
「ふぅぎぃい!」
到底人のものとは思えぬ声量の叫び声を突如浴びせられ、弁丸はそのまま固まった。
「不義!それは不義だぞ!弁丸!包装は店を出るまで破いてはいかん!」
「……」
「どうした?弁丸。挨拶や返事は会話の基本だぞ!いつからそのような不義な子になったのだ!私や謙信公はそなたをそのような不義の輩に育てた覚えは無いぞ!ぬ、山犬か、さては貴様が弁丸を不義に導いたのだな!それはならぬ!ようしここは一つ私が受けた謙信公の薫陶で不義の山犬めを」
「大丈夫か、弁丸?」
余りの驚愕に暫く口も聞けなかった二人だが、辛うじて先に回復したのは梵天丸だった。人間すごく驚くと涙が出るものなのだなあ、頭の片隅でそう感心しながら目を潤ませている弁丸の頭を撫でてやる。
「…ふぃー。おどろきました」
やっと弁丸が動き出し、深く息を吐いた。確かにここで玩具を広げられても困るが、それを止めるにしてももっとやりようがあるだろう。そう思い与六を睨んでみたが、与六は「謙信公」「義」「毘」「愛」と繰り返すばかりでちっとも堪えぬ。どころかそもそも目の前に梵天丸と弁丸が立ち竦んでいることすら見えているかどうか怪しいものだ。
「ぼんてんまるどの、よろくどののこえはおおきいですなあ」
「ああ、そうじゃな。存在そのものが歩く公害みたいなものじゃな」
「こうがい、でございますか?」
「うむ」
神妙に頷く梵天丸を見ながら弁丸は「こうがい」と小さな声で発音してみた。与六にとって良いことなのか悪いことなのか弁丸にはさっぱり分からなかったが、子供心にそのようなことは然したる問題ではないと結論付けたようだ。弁丸がそれについてこれ以上追求することはなかった。
「さて、行くか弁丸」
そう言って先に歩き出した梵天丸を追うように弁丸も足を踏み出したが。
「そう!謙信公は領土的野心による戦をしたことがない!常に義!義の戦である!そんな謙信公の素晴らしさを世の人に広める為、この樋口与六、不肖ながら謙信公の物真似をしようと思うが見てくれるか、弁丸!」
「はっ、はい!」
まだ叫んでいた与六に名前を呼ばれて反射的に弁丸が立ち止まる。
「毘沙門天!我を見捨てたもうな!」
随分元気な謙信もいたものである。梵天丸はそう思うが、ここで突っ込んだら与六との会話が加速度的に長くなっていくことは火を見るよりも明らかだ。謙信苦戦中かよ、と言ってやりたいがそこは耐えねば。
「一酔の生!闘争に果つるか!」
「与六!それ死亡台詞ぞ!いや、というか物真似か?ちっとも似ておらぬぞ!」
耐え切れなかった梵天丸。与六に突っ込んでしまう。
「何?!いくら不義の山犬とはいえ謙信公に向かって死亡とは何事だ!」
「だから他でもない貴様が謙信の死亡台詞を口にしてだな!」
「死ねと言う貴様が死ね!この山犬が!」
「しぬのはこまりまするー!」
「儂、死ねとか言うてないし!人を指差しながら死ねという方が不義ではないのか!」
「しんだらごはんがたべられませぬー!」
弁丸まで加わって収拾がつかなくなった言い争いは、結局与六の怒号に驚いた弁丸が泣き出すまで延々と続けられたのだった。
「な、もう泣くな弁丸」
こんなスーパーの中で与六とばったり出会ったことがもう悲劇なのに、この上弁丸にまで泣かれたらお手上げだ。毒霧の中(なんだ、それは)にいるように自分の体力ががんがん減っているような気がする梵天丸である。
「もう、しにませぬか?べんまるは、しにませぬか?」
あー死なぬ死なぬ、儂も弁丸も与六も死なぬから大丈夫じゃ。少々おざなりではあるがそう言って慰めてやる。何でこんな話になったのか考えるのも面倒だ。
「いや、形あるものはいずれ滅びる!これは私も弁丸も山犬も例外ではない!死は確実に訪れるものであり…」
「黙れ与六!そうやって弁丸を脅すでない、馬鹿め!大体貴様は此処で何をしておるのじゃ!」
「うむ、山犬にしては良い質問だ。これを見ていただこう!」
そう言って与六が梵天丸の鼻先に突きつけたのは、紙の束。広告の白い裏面を集めたその紙には、クレヨンで「万引きじいめん」と書いてある。
「……………」
多分、何じゃこれはと一声聞こうものなら、与六は嬉々として説明を始めるに違いない。ああ、聞きたくない。絶対聞きたくない。が。
「これはなんでございまするか?よろくどの」
うん、聞くと思っていた。儂は多分お主がそう言うと思っていたぞ、弁丸。
「昨今万引きが増加傾向にあるという嘆かわしい話を耳にした!これは不義!私はこの不義を正すべく、長年昼夜分たず様々な研究をしてきた!」
生まれて数年の奴が長年とか口にするな。兎も角与六は熱弁を振るう。
「こうして私が出会ったのが万引きGメンという人々である!万引きと言う魔の手から商品や売り上げを守ろうとするその行い、正に義!これに深く感銘を受けた私は、早速彼らの仲間入りをすることにした!まずはGメン手帳を作り、こうしてパトロールしながら様々な人に万引きの不義を言って聞かせていたところである!」
…何と迷惑な行為であろうか。しかし与六は尤もらしく重々しい動作で弁丸に詰め寄ると、弁丸の耳に口を寄せ険しい顔で質問した。
「弁丸、そなた万引きなどしてはいないだろうな!」
与六の声がダイレクトに鼓膜に届いたのであろう、弁丸が左耳を抑えながら「まんびき?」と首を傾げる。
「うむ。不義の所業だ」
「あー、泥棒。泥棒のことじゃ、弁丸」
微妙に意味は違うだろうが、分かり易く言い換えてやると弁丸は思い当たることがあったらしく、こくこくと頷く。
「どろぼうはよくありませぬ!ちちうえが、ちちうえがいっておられました!」
「そうだ!よくないぞ弁丸!」
「どろぼうをすると、にえたぎったかゆを、かけられたりするそうです!あと、ほかにも…」
「………」
やはり真田と粥は切っても切り離せないものなのか。いや問題はそこではない。弁丸の口から次々語られる凄絶なアレやコレやの数々。しかも無垢な語り口が更なる恐怖心を呼び寄せる。与六も世界○酷物語もびっくりだ。
「さいごは、もえさかるほのおの…」
「な!いやいい!弁丸頼むからそれ以上は言うな!」
「う、うむ!弁丸の義、この与六がしかと見届けた!」
梵天丸と与六の心が一つになったのは、後にも先にもこの時だけだったという。
与六書いてる時が自分でも一番楽しそうって思います、正直なところ。
(08/06/02〜初出 09/01/06加筆)