一週間前の話し合いは、結局いつも通り自分と与六の言い争いが当たり前のように勃発し、何一つ決められなかった。六日前は佐吉が持ってきた筈の財布が無いと大騒ぎした結果、夕暮れ時に左近が息せき切らして持ってきたが、その時には缶蹴りに夢中になっていて、やはり何も出来なかった。五日前は自分の家の用事で集まることが出来ず、四日前にはこっそり家を出たところで、身を隠すべき対象――つまり弁丸のことだ――についに見つかった。「おとといもそのまえも、ぼんてんまるどののおうちにいったのに、おるすでした!」と鼻水を垂らして盛大に泣く弁丸を無視できず、だから秘密の会合は中止せざるを得なかったのだ。
「もう、べんまるとは、あそんでくれぬのですか?」としゃっくり上げる弁丸が忍びなかったので(あと、そんなにも自分は好かれていたのだと少々いい気にもなったので)本来の目的を忘れ、与六と佐吉と四人で遊び呆けたのが二日続き、あっという間に一週間が終わろうとしている。
明日、二月二日のところに大きな赤丸をつけたカレンダーを見て、梵天丸は溜息を吐いた。
 
弁丸の誕生日プレゼントを何にするか、与六と佐吉と小遣いを出し合って弁丸を喜ばせようとしたのに、プレゼントを購入するどころか何を買うかさえ決まっていない。
 
 
 
「ぼんてんまるどのーあーそびましょー!」
 
今日も今日とてその弁丸が、学校から帰るなり玄関にランドセルを放り出す間も惜しいかのような迅速さで誘いに来る。そこまで一緒に帰ってきたのだから(現に梵天丸は鞄すら下ろしていない)居留守を使うのは不自然過ぎるし、そういう誤魔化し方はしたくないし。
玄関先でにこにこしながら立っている弁丸の手を引くと、梵天丸は与六と佐吉の家の方向に向かって歩き出した。
 
 
 
「大事な話だ、弁丸。そなたは誕生日に何が欲しい?」
 
だから自分達と合流して開口一番そう尋ねた与六のことを責める気にはなれなかった。
こっそりプレゼントを用意してあげたかったが、恐らくそれはもう無理だろう。自分を差し置いて佐吉や与六とこっそり遊んでいたと誤解している弁丸は、こうして梵天丸の服の裾をしっかり握ったまま離れようとしないのだし。
その弁丸が首を傾げる。「たんじょうび?」「あしたはおまえのたんじょうびだろう?」佐吉が聞くと弁丸が顔を綻ばせた。たんじょうび!べんまるのたんじょうびにございます!
 
「ちちうえがおもちゃをかってくださるそうです!」
「そうか、それは正に昌幸殿の愛だ!有難く受け取るが良いぞ、弁丸!して我々もそなたに何か義の贈り物をしたいのだが思いつかんでな!」
「べんまるは!べんまるはおやつがたべたいです!」
 
それは誕生日云々ではなく、今自分が欲しいものだろうとは思ったが、勢い込んでそう答えた当事者の答えをすげなく却下することも出来ず、梵天丸は誕生日に相応しいおやつを脳内で検索中である。
 
「おやつ…ケーキのことか。ケーキはおれもすきだ。たべるとほわほわなるのだよ」
「ケーキは、とくべつなひしか、かってもらえぬのです!べんまるはケーキをたべると、たのしいきもちになるのです!」
ケーキケーキと手を取り合ってきゃっきゃはしゃぐ弁丸と佐吉に、梵天丸が提案した。
「ならば明日ケーキを買いに行くぞ。プレゼントはそれでどうじゃ、弁丸」
 
財布の中には小遣いの千円札がまるまる手付かずで残っている。弁丸が好きなケーキなら買ってやれるだろう。
それに人一倍食い意地の張った、もとい、食べることが好きな弁丸だったら、一緒に買いに行って選ばせてやるのが一番のプレゼントに違いない。
梵天丸の意見に弁丸も佐吉も、与六までもがこくこくと頷き、かくて弁丸の誕生日が幕を開けた。
 
 
 
 
 
「ぼんてんまるどのーあーそびましょー!」
 
いつもと同じように、同じ台詞で玄関先から声を掛ける弁丸が、今日は自転車を引いている。ケーキ屋は少々遠く、自転車での遠出が決まっていたのをしっかり覚えていたらしい。既に弁丸の家に寄ってきたらしい佐吉と与六もそれは同様で、梵天丸は自分の自転車を慌てて取りに行く。
目指すは隣町のケーキ屋だ。
 
「左近があそこのケーキはうまいといっていた。だが、やつのことなので、なにをたべてもうまいというにきまっている」
「べんまるも、なにをたべてもおいしいとおもうのです!れんこんのはさみあげがすきです!」
「全く味の良し悪しが分からぬとは、左近は仕様のない大人だな!因みに私の昨日の夕飯は烏賊飯でな!烏賊の持つ義の力が、今の私に進めと命じているかのようだ!」
「おれはおねねさまのハンバーグがすきなのだよ」
 
思い思いに食の好みを披露する皆を急かして、一路ケーキ屋を目指す。
 
「たあ―――!」
 
弁丸の自転車は早い。
何の変哲も無い(が、五段階の変速ギア付きの自転車は、最も子供らしいと言えよう)自転車を、それはそれは思い切り漕ぐので、梵天丸はいちいち弁丸から目が離せない。今日はケーキ効果も手伝って、普段の二割ほど早いスピードで漕いでいる。
その後ろを立ち漕ぎでついていくのは梵天丸。
少々距離をおいて後を追う佐吉の息は、もう少しだけ上がっている。与六は背筋をしっかり伸ばして実に優雅に、何が可笑しいのか大声で笑いながら自転車を漕ぐ。
 
「はっはっは!弁丸、そっちは逆方向だぞ!そう、そこを左だ!佐吉、そんなへっぴり腰では転ぶぞ!愛を込めてペダルを踏むのだ!義!義!そう、その調子…む、山犬う!立ち漕ぎは不義だぞ、不義!私のように落ち着いた走行が出来ぬとは、やはり山犬と言ったところか!」
 
常に投げかけられる与六の言葉を背に受けながら、子供たちの群れは進む。佐吉との距離が随分離れたところで、まだまだ元気な弁丸に梵天丸は待ったをかけた。
 
「弁丸は早いのう」
「べんまるはたんじょうびなのではやいのです!おにいさんになったのですから!」
「ならば佐吉が追い着くまで待ってやれるな?」
 
暫くするとやっと佐吉が追い着いてきた。
「…おれは…もうつかれたのだ。のどがかわいた」
 
そう訴える佐吉の顔色は、まるで朝礼で長い校長の話を聞いた直後のようだ。「では諸君、休憩だ!」折りしもそこは、いつも皆で遊びに来る公園の真横で、自転車を(与六の指導の下)一列に綺麗に並べた四人はベンチで小休止を取る。
佐吉は早速自販機にジュースを買いに行った。梵天丸がそれに続く。
 
「であるからして謙信公は領土的野心による戦をしなかった正に義士であってな!いいか、ここからが大事なのだ、弁丸!」
 
与六の義談義に付き合わされている弁丸の背後から近付き買ってきたジュースを頬に当てると、弁丸が飛び上がった。「お主も飲むじゃろう?」一瞬迷ったようだが、ほれ、と押し付けると素直に口をつける。
全部飲んでいいぞ、二本買うてきた。そう言うと、弁丸は嬉しそうに頷いて、ペットボトルを両手でしっかり持ち直し、んくんくと音を立ててあっという間に飲み干した。
 
「美味かったか?」
「はい、ありがとうございます!」
「ゴミ、捨ててくるぞ」
 
弁丸は空のペットボトルを両手で抱え込んで、いやいやと首を振る。
時々弁丸は変なものを集めて喜んでいることがあるのだ。鉛筆の芯とか綺麗な石とか、どんぐりとか。今のブームはペットボトルの蓋なのか?そう思って尋ねたら、強い口調でこう返された。
 
「これは、ぼんてんまるどのからのぷれぜんとなのです!すてたら、だめです!だいじにします!」
 
その割にはいっそジュースも吃驚な速度で飲み干したものだと思うが、もう言われれば勿論悪い気はしない。「ぎゅーんばりばりばりー」と早速ペットボトルを巨大ロボ的な何かに見立てて遊び出した弁丸の頭を撫でようとした時。
「うわあああん!」
向こうから佐吉の火のついたような泣き声が上がった。
 
「どうした佐吉」
「…ころんだのだ」
「ちが!ちがでておりまする!しぬのですか!」
「おれはしぬのか?!」
見ると、佐吉の膝に僅かに血が滲んでいる。
「ええい、このくらいで騒ぐな!そこの水道で適当に洗っておけば良かろう」
 
「破傷風という言葉がある!」
梵天丸の尤もなアドバイスは、与六の言葉で打ち消された。
「土中に生息する菌が傷口から体内に侵入する感染症の一つだ!舌のもつれから会話が困難になり、やがて全身の筋肉麻痺を引き起こし、死に到るという!」
 
「し!」
「おれはやはりしぬのだ!もしもおれがしんだら、左近のだいじにしていたほんに、らくがきをしてすまないといっておいてくれ」
「らくがきですか?」
 
「落書きとは何らかの悪意、あるいは悪ふざけにより、物品を破損する不義の行為だ!歴史的建造物に観光客がするものなど、近年では問題視されているものも多い!一方で民俗学的には当時の風俗を知る手掛かりになるとされるものもあるという!」
 
「おれは…もんだいしされ、しぬのか!」
「べんまるもきのう、ないしょでたんすにシールをはって、らくがきをしました…べんまるも、し、ですか?」
「ああ、しぬな。なにか、いいのこすことはないか?」
 
「シールとは!裏に糊のついた紙やフィルムを指し…」
「だ―――!もう良いわ!いいからそこで待っておれ!」
 
次から次へと不安を煽る与六と、それを真に受けご長寿早押しの様相を呈してきた佐吉と弁丸に業を煮やし、結局梵天丸は最寄の薬局へ絆創膏を買いに走ったのだった。
 
 
 
こうして梵天丸が息を切らせながら戻ってきたときには既に、佐吉の膝の血はすっかり固まっていたのだが、梵天丸は公園の水道で傷口を洗わせると絆創膏を手渡した。
痛みと一緒に死の恐怖もすっかり薄れたのだろう。今は「かつてはこんな落書きをした」という話題で盛り上がっている佐吉は、絆創膏を張ることが少々誇らしく面映いのか、変な笑みを浮かべながらも大人しく言われた通りにする。
 
「べんまるも、なんだかあしがいたいです!」
 
全速力で梵天丸に駆け寄りながらそう訴えた弁丸に、絆創膏が羨ましいのだなと思いながらも黙って一枚分けてやる。
やはり弁丸も、ふひひ、と変な笑い声をたて、大事そうにそれを膝に貼った。端っこがよれて、少々見栄えが悪くなってしまったが、それでも満足そうに見遣ると、次の瞬間にはすっくと立ち上がりこう宣言する。
 
「ばんそうこうもはったので、けーきをかいにゆくのです!」
 
 
 
隣町に行くには坂を越えねばならない。目の前にそびえる大きなそれを見上げ、弁丸は「ふいー」と奇声を上げた。
 
「どうした、臆したか?」
「このくらいだいじょうぶです!つよいもののふは、さかだっていっきにのぼれます!」
 
弁丸のその言葉を合図に、二人は坂に向かって思い切りペダルを踏んだ。立ったまま必死に足を動かす梵天丸のすぐ後ろを、これまた立ち漕ぎでギアをがちゃがちゃ動かしながら(多分、ギアの意味が全然分かっていないのだろう)弁丸が続く。
弁丸の自転車のカゴの中から、空っぽのペットボトルが転がる音が響いた。
 
「あいつら、げんきだな」
坂の攻略をすっかり諦め、自転車を引く佐吉の横を、すいーと与六が速度も姿勢も変えずに追い抜く。
 
「まて与六」
「この私の義の電動自転車についてこれるかな、佐吉!」
「きさま、そのようなきかいにたよるなど、ずるいぞ!」
 
餓鬼が何でそんなものに乗っているのかという疑問はさておき、与六の電動自転車は坂をすいすい進む。ここを超えればもうケーキ屋は目の前だ。
一番先に頂上に辿り着いたのは梵天丸で、「まけましたー!」と肩で息をする弁丸を振り返る。坂の中腹くらいを歩く佐吉が、自転車を放り出さん勢いで与六の電動自転車に食って掛かるのが見えた。
「道具を上手く使うことは義!この程度の坂も自転車で登れぬ佐吉に、電動自転車はまだ早いぞ!」
そんな与六の声が徐々に近付き、やがて顔を真っ赤にした佐吉が坂の上に到着する。
 
「ふう。またせたな」
「さきちどの!あそこがけーきやさんにございまする!」
 
坂を駆け上がった所為か、それともケーキに興奮しているのか、こちらも真っ赤な顔でそう叫ぶ弁丸を宥め、「何のケーキが良い?」自転車を引きながらそう尋ねると、「いちご!」と元気良い返事が返ってきた。

 

 

 

やべ。まだケーキも買ってねえ…。子供たちの冒険は続くよ!与六が電動自転車なのは譲れません。
運動神経の良さは、梵天(けど面倒臭がりなのであまり全力は出さない)・弁丸>与六>佐吉だと思います。
左近が言われたい放題。
(09/02/02)