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ドアにつけられた小さな鐘の音と共に店内を覗き込んだ弁丸は、小さな感嘆の声を上げた。大きな大きな(弁丸にはそう見える)ショーケースには、夢のようなケーキがたくさん並んでいる。
甘いクリームが口内でとろりと溶ける様を思い出し、うっとりと笑う弁丸。隣の佐吉も、頬を両手で押さえその場に立ち止まった。
「で、貴様らいくら持ってきたのじゃ」
梵天丸の小さな掌に丁度乗るくらいの小振りのホールケーキは、千円とちょっと。先程ジュースと絆創膏に使ってしまったお金は、それでもまだ六百円残っている。三人の財布を合わせ、何とか買えるくらいだろうか。
「おれは左近からさんびゃくえんも、もらったのだ」
佐吉がごそごそと財布を取り出しながら自慢げに告げた。
ケーキを買いに行くのに三百円じゃと。左近は今日びのケーキの値段を知らぬのか。まあそれだけあれば、後は自分と与六の金をあわせて何とかなるじゃろう。
金勘定する梵天丸の横で、財布を逆さに振った佐吉が首を傾げる。
「む?ひゃくごじゅうえんしかないぞ?」
「べんまるはなんと、ひゃくえんだまをもっています!」
むふーと胸を張る弁丸はさておき、佐吉は先程ジュースを買ったのをすっかり忘れているらしい。
「これをあわせれば、さんびゃくえんよりすごいです!」
いまいち金の価値も計算も分からぬ弁丸がそう言って、ポケットから取り出した自分の百円を佐吉に握らせた。
「では私もこれを出そう!虎の子の五十円だ!」
「な!まさかそれしか持って来とらんのか!」
「そう急くな、山犬!ここにこうして…ふむ!二十円も持っている!」
「与六、貴様七十円で一体何を買う気だったのじゃ?!」
「利に敏い不義の山犬め!この与六、上杉の軍配をいずれ預かりし身!金などという不浄なもの扱えるか!」
「軍配云々が今の設定に必要か?!今必要なのは、弁丸のケーキを買うてやる金じゃろうが!」
梵天丸の叫び声に弁丸が悲しそうな声を上げた。全員の所持総額は全くもって分からぬが、どうやらケーキ購入に黄信号が点った、というのは何となく分かるらしい。
「ケーキはかえませぬか?」そう小声で呟く弁丸に、慌てて弁解する。
「買える、買えるぞ弁丸。儂が何でも買うてやる。何が食いたい?」
「…ではこれがたべたいです。だめですか?」
そう言って弁丸が指したのは、ケーキではなく小さなプリンだった。プリンなら、かえますか?そう聞く弁丸は、もうすっかり意気消沈していて今すぐにでも泣き出しそうだ。
「苺のはどうじゃ?丸い大きなのは買えぬが、こっちの小さいのは買えるぞ。チョコでもいいぞ」
「ちょこならいっぱいかえまするか?」
「…いっぱいは、無理じゃ。すまぬ」
こんなことなら貯金箱を叩き割ってでも金を持ってくるのだった。絆創膏なんか買うんじゃなかった。自分の分のジュースも我慢すれば良かった。
そもそも佐吉は兎も角、与六を信じた自分が間違いだったのだ。
「いっぱいでなければ、いやです!」
「弁丸!」
「べんまるは、いっぱいかって、ぼんてんまるどのと、さきちどのとよろくどのとたべるのです!」
「…そうだな、一人で食うのは嫌じゃよな。ならば…」
「義いいい!弁丸の義、確かに受け取った!ではそこの美しいお嬢さん!我々の腹を満足させることの出来そうな、この店で一番大きな義のケーキを頂こうか!」
「ちょ、待てい!」
折角弁丸とのハートフルなイベントが発生しかかったのに、ぶち壊した与六を怒りに任せて押しやると、梵天丸はプリンを四つ、注文した。
「それから苺のショートケーキも、一つ。これは弁丸のじゃ、良いか?」
「べんまるの、ですか?」
「お主は今日は特別じゃからな」
口を押さえ羽交い絞めにされている与六がどう思っているのかは知らぬが、梵天丸の言葉に佐吉もうんうん、と頷く。
「とくべつ、です!」
丁寧に箱に収められていくケーキを見ながら、やっと弁丸が笑う。
来年こそは大きなケーキを買ってやる、そう言ったら弁丸が、らいねんもいっしょにたべてくれますか?と耳打ちした。
これはおまけね、そう言って店員のお姉さんは「おたんじょうびおめでとう」と書かれた小さなチョコレートをケーキに乗せてくれた。
ケーキの箱と、やっぱり空のペットボトルが弁丸の自転車のカゴでかたかたと揺れる。
「はやくかえってみんなでたべるのです!」
行きは夢中で自転車を漕いだ弁丸も、ケーキの為とあらば慎重に自転車を操る。
電動自転車を相変わらず背筋正して運転する与六を先頭に、坂を下って(ブレーキをかけずに下った弁丸の自転車が、佐吉の自転車に接触し、あわや転倒するところではあったが)大きな道路を一本越えれば、もう弁丸の家はすぐそこだ。
「む!信号が赤だ!全員止まれい!」
先頭を行く与六がそう叫んで、右腕を斜め下に突き出した。言わずと知れた「二輪車で走行時、停止を周囲に知らせるポーズ」である。
だが残念なことに、そんな規則を知るものは与六以外誰一人いなかった。
目の前で急に腕を差し出された佐吉が驚いてブレーキを掛けバランスを崩し、続いて弁丸が佐吉の自転車に突っ込み、梵天丸がそれを避けようとしてハンドルを切ったのだが、もう遅い。
与六の右腕に翻弄された三人は、そのまま将棋倒しにアスファルトの上にすっ転んだ。
「ん?何をしているのだ、三人とも。さてはきちんと信号を見ていなかったのだな!この慌てんぼうさんめ!」
「弁丸、佐吉!大丈夫か?」
最も被害が小さかった梵天丸が素早く立ち上がって助けおこそうとした時
「ケーキ!べんまるのケーキが!」
弁丸の悲壮な叫び声が響き渡った。自転車の下敷きになっていた佐吉も、その声に慌てて跳ね起きる。
「ケーキはどうなったのだ!だいじょうぶか!」
弁丸の自転車から放り出されたケーキの箱は、角が潰れてくしゃくしゃになっていた。自転車を起こすのも忘れ、与六などはわざわざ自分の自転車をなぎ倒して、四人で歩道に座り込み恐る恐るケーキの箱を開ける。衝撃で転がり思い思いの方向を向いたプリンのカップと、既に形を留めていないケーキの残骸が見えた。
「…べんまるの、ケーキが…ケーキではなくなってしまいました」
「…ぐちゃぐちゃだな…」
がっくり肩を落とす弁丸に溜息を吐く佐吉。覗き込んだ与六も絶句したまま動かない。奇跡的に割れずに、だがクリームまみれになった「おたんじょうびおめでとう」と書かれたチョコレートが、却って悲しい気持ちを煽る。
ふえっ、と小さく零れた弁丸の泣き声に、真っ先に我に返ったのは梵天丸だった。
「とりあえずそこの公園に行くぞ。転んだケーキをおこしてやれば、大丈夫じゃ」
そうは言ったものの、勿論それで何とかなることではないことは梵天丸が一番良く分かっている。
公園のベンチで、膝にしっかりケーキの箱を置いて座り込んだ弁丸を囲むように集まった三人だが、さて一体どうしたものやら、まるで見当もつかない。
とりあえずプリンをどけてみるのじゃ、梵天丸の提案で皆が手に一つずつプリンとスプーンを持ってはいるが、視線は箱の中の無残なケーキに釘付けだ。
やがて、もうこれはどうしようもないと諦めたのか、見ていても悲しくなるだけだと見切りをつけたのか、弁丸が小さく息を吐いて箱を閉じ、おもむろにプリンの蓋を開けた。
こんなに悲しいのに、プリンを見ると少しだけ、ほんの少しだけ嬉しくなるのは何でだろう、と思う。せっかくかってもらったケーキでしたのに。そう思うと泣くことも出来ず、涙と一緒に飲み込んだプリンはとっても甘くて、弁丸はほっとした。それを見た佐吉もプリンを頬張り、二人で顔を見合わせて涙目のまま小さく笑う。
頭の上で梵天丸が立ったまま、プリンの蓋を開ける気配がした。
「弁丸、すまない。本当にすまない…」
与六がスプーンを咥えたまま小さく呟いた。慌てて弁丸も首を振る。
「べんまるこそ、もうしわけありませんでした。みなさんがかってくださったケーキを」
「否!自転車で走行する時には、己の運転技術を過信せず、しっかりとした車間距離をとるべきということをきちんと指導するのだった!停止の合図で皆を驚かせこのような事態を引き起こした責任は、この与六にある!すまない!本当にすまない!」
時折プリンを口に運びながらだったが、与六の口ぶりは真剣だったので、弁丸はもう一度ゆっくり首を振った。
「でもプリンはとってもおいしいです!」
べんまるはもうすっかりたべてしまいました、ほら。そう言って与六の目の前に空っぽの容器を差し出したら、やっと与六がほっと息を吐き出した。
「うむ、なかなか美味だな!」
「はい!ぷっちんプリンみたいでした!」
弁丸的には多分誉めているのだろう。
「おれももう、くってしまった」
「これは私も負けておれんな!よし食うぞ!ん?弁丸も一口食うか?!」
そう言ってスプーンにこんもり乗せたプリンを一口分、弁丸の口に捻じ込むと、与六はプリンをかっ込み始めた。
それは儂がやってやろうと思って一口分残しておいたのに、与六に先を越されるとは。こっそり臍を噛む梵天丸だったが、まあいいわと思い直し最後の一口を頬張る。だって弁丸はこんなにもにこにこしているのだし。
「そうじゃ、チョコは無事じゃぞ。あれも食ったらどうだ」
「チョコ!」
一旦仕舞いかけたケーキの箱を開けて、中を見る。今度はちっとも悲しい気持ちにならなかった。箱の中に飛び散ったクリームは甘い匂いがして、剥き出しになったスポンジは柔らかそうだ。
指でそっとそれを掬って、舐めてみる。
「あまいです!」
「ほんとうか?」
「ほんとうです!」
そう言いながら今度は大きな塊を手掴みで口に運ぶと、弁丸は立ち上がってケーキの箱を皆に差し出した。恐る恐る佐吉が指を突っ込んで舐め、「ほう」と声を上げる。「手で食うのは不義だな」そう笑いながら、与六もスポンジの切れ端を摘み上げた。
「ぼんてんまるどのも!」
「それはお主のじゃぞ…崩れてしまったがお主のケーキじゃ」
「でもおいしいのですよ」
そう言ってべたべたの指で掬われ差し出されたクリームは、本当に旨そうだった。「なめてみてください!」弁丸に言われるがまま、指の先のそれを少しだけ舐める。弁丸の腕には、自転車で転んだときに出来たのだろう、小さな掠り傷があって、梵天丸はさっき絆創膏を買って良かった、そう思った。
口に含んだのは味も分からぬ程少量のケーキの欠片なのに、それは確かにすごくすごく甘くて、再びケーキを摘もうと箱に手を入れる弁丸を見ながら、一生懸命絆創膏のことなんか考えている自分が何だか可笑しかった。
ケーキを綺麗に舐め取ってチョコを齧り、甚く満足そうな弁丸(とついでに佐吉)の傷の手当をしてやって。日が傾きだした公園に聞き慣れた声が響いた。
「なんじゃ、弁丸。ここに居ったのか」
「ちちうえ!」
息子を迎えに来たのであろう昌幸に、クリームでべたべたの箱を抱えた弁丸が駆け寄る。
「みてください!べんまるはプレゼントをもらったのです!」
弁丸の腕も足も絆創膏だらけで(傷もないところに弁丸が面白がって貼ったものも多数含まれてはいるのだが)更に少し歪んだケーキの箱から、何があったのか想像がついたのだろう。それでも昌幸は飛び跳ねて報告する弁丸を、目を細めて見詰める。
「そうかそうか。ケーキは旨かったか?」
「はい!ぐしゃーってなっておりましたのを、なめたのです!あまかったです!」
ちちうえも、なめますか?箱を差し出す弁丸を抱きかかえ、昌幸は弁丸の頭を撫でた。
「綺麗なケーキを崩して食うのも面白いじゃろう?いつもよりちょっと甘い気もするしのう」
片手で器用に弁丸を抱き、もう片方の手で梵天丸たちに向かって手招きをしつつ、昌幸が続ける。
「今日の夕飯は弁丸の好物がいっぱいじゃ。皆も家で食っていくと良い」
「みんなで、ごはん!」
「おお!これはかたじけない!義の誕生日パーティという訳か!ではこの与六、遠慮なくご相伴に与るとしよう!」
「おれも、いっていいのか?」
「勿論じゃ。二つ目のケーキは家で行儀良く食うとするか」
まだ少しだけ、潰れたケーキを笑えない自分を促すかのように当てられた昌幸の掌を背中に感じながら、梵天丸はこの親父には敵わないと思った。本当はこの人みたいに上手に弁丸を守ってやりたかったのだ。
そんな気持ちさえ見透かすように、でも何食わぬ顔でぽんぽんと頭を軽く撫でる昌幸を見上げると、自分が子供なのだと思い知る。
「べんまるは、きょうは、コロッケがすきなのです!ぼんてんまるどのは、なにがおすきですか?」
いつの間にか昌幸の腕から抜け出してきた弁丸が、そう言って梵天丸の手を取る。
しっかり洗わせた筈なのに、まだ少しべたべたする砂だらけのその手は、昌幸のものよりずっと暖かい。それを自分の指ですっぽり包んでやることは出来ないのだけど、こうして握ればしっくり安心するこの感覚は、恐らく自分だけの特権なのだ。
繋いだ手に僅かに力を込めながら、梵天丸はほわほわと湯気の立つ真田家の食卓に思いを馳せた。
やがて、いつしか昌幸よりずっと大きくなった政宗は(幸村はもっと大きくなったのだがそれはさておき)ある日恋人の部屋で、砂がこびりついたぼろぼろのペットボトルを見つけて少々感動することになるのだが、それはまた後のお話。
ペットボトルって放っておいたら何年ももつものなの?面倒なので調べませんでした。
イベント事への力のかけ方がまるで分かってなさそうな(つまり力抜きまくり)伊達と真田は、
子供の頃の誕生日といえど、あのくらいの思い出でいいような気がします。
(09/02/05)