父が想像した通りだった。軍の統率には天賦の才があるように思われる幸村をもってしても内心舌を巻くほど、後がない真田勢はよく働く。
幸村は自らの手足のように動く兵を従えながら、徳川軍の横っ腹から怒号を上げて挑みかかった。
三万対二千。
だが油断しきった徳川軍は長く伸びる形で進軍しており、隊同士の距離は離れ連携は密とは言えぬ。こうなれば兵の多寡など何の意味もない。まずは挨拶代わりと言わんばかりに真田が放った鉄砲の音を、いつも通りの小勢による奇襲だと勘違いした徳川は初動が遅れ、間髪入れずに斬り込んできた幸村隊にあっさり潰走させられた。
 
味方の潰走は士気の低下に繋がるだけではない。目暗滅法に逃走する兵達は、今しがた幸村が駆け抜けた牧野康成が率いる隊の者であろう。逃亡する兵が別の小隊を突っ切れば、そこから恐怖は蔓延し、やがて全体が潰走する。此方が手を下さずとも、徳川の動揺は徐々に広がっていく。
これだけの大軍を恐怖でおし包んでまさか何とかなるとは思わぬが、この機会に混乱を出来る限り広範囲に広げる以外に真田の生き残る道はない。
先頭を行く榊原、そしてこの大軍を率いる井伊が異変に気付き手を打つ前に、勝負をつけるのだ。
 
「追捕の手を緩めるな!真田の戦、見せ付けてやれ!」
 
そう叫びながらも槍を振るう手は休めない。飛んできた矢を叩き落とすと、幸村は馬の腹を蹴る。槍を構え我もと続く兵達の熱気が心地よい。一方で頭の隅は冷え冷えするほど澄んでいた。
まだ勝負が決まった訳ではない、慢心してはならぬ。が、負ける気がしないとはこういうことか。
声を張り上げ味方を立て直そうとする敵将・牧野康成の姿を彼方に捉えると、幸村は槍を構え直した。あの首級は父・昌幸への良い土産となる。
康成の脳裏には、大敗を喫した先の上田攻めのことが浮かんだのであろう。総崩れになりかけた隊を立て直そうと鼓舞する声には僅かに焦りが滲んでいた。何とか踏み止まろうとする敵兵を蹴散らしながら康成の一団に猛然と突っ込み槍を振り下ろす。肉を切り裂く手応えと同時に、康成の近習の一人が地面にどう、と倒れた。幸村はそれには目も呉れず、慌てて馬首を返そうとする康成に追い縋り、今度は槍を右に薙ぐ。槍の先端は僅かに康成の馬の胴を裂き、馬が大きく嘶いた。その隙を逃さず、康成の背に槍を突き立てる。康成が振り返る間もない、正に一瞬の出来事であった。
 
「敵将、牧野康成、討ち取ったり!」
 
これで牧野隊の潰走は決定的なものになった。我先にと逃げ出す徳川勢を真田の精鋭が背後から追う。
牧野隊の後を進む本田忠朝の隊は、湯本図書助率いる別働隊が突っ込み混乱させる手筈になっている。
まだ若いとはいえ剛勇で鳴らした本多ともなれば首級を挙げるのは困難だが、長い間真田軍先鋒を務め上げてきた図書助の戦場での勘は信頼できる。牧野隊を尚も追い詰めながら図書と合流すると、幸村の信に応えるように図書助は僅かな手勢を見事に操り、本多隊を存分に浮き足立たせたところだった。真田本隊の赤備えを見て更に沸き立つ湯本隊、そして己と共にここまで駆けてきた精鋭達に、幸村は最後の突撃を指示する。
 
武勇音に聞こえし忠朝といえど、これには為す術なく、前線が総崩れになったのが分かった。
あとは時間との勝負である。
牧野隊の遥か前方を進軍する隊が引き返し挟まれぬ内に、そして忠朝が隊を立て直すその前に、充分な戦果を上げ且つ最も危険な引き上げを成功させる必要があった。
敵中に広がった混乱は未だ収まる気配がない。
幸村は軍を停止させると、かねてより集めておいた三十の兵で小隊を素早く組織した。これで忠朝の許を目指すのである。味方を素早く引かせるには己が囮になる。
幸村は返り血に塗れる柄を拭うと槍を頭上で大きく回転させた。ぶん、と小気味良い音を立てた後、十文字槍は幸村の右手にすぽりと収まった。
 
「では若殿、後ほど」
 
此方も素早く撤退の体制に入った図書助が短く声を掛ける。それに大きく頷くと幸村は声を張り上げた。
 
「徳川勢三万と言えど男は一人も居らぬ。今こそ我らが勇、示す時ぞ!」
 
 
 
そう言った刹那、かつての小田原攻めのことを思い出した。皆が口を揃えて幸村の武勇を賞賛する中、唯一眉を顰めたのが彼の人だった。
 
「決死の覚悟と死を覚悟することは別じゃ。そんな区別もつかぬか、馬鹿め」
 
あの時は首を捻るばかりだったが、今なら分かる。死中に活路を切り開く為に振るわれる槍は、恐らく何より鋭く、強い。

 

 

 

戦、難しい…短いですが一先ずここまで。戦ってこんな感じなんでしょうか?
康成と忠朝を出したのは、偏に愛。
図書助も大好きです。このタイミングで図書がこんなことしてたらおかしいのかもしれませんが、勉強不足でよく分かりませんでした。
無双には出てくるし…まあ笑って許してください。
(09/04/27)