徳川との戦から十日ほど経ち、起き上がれるようになったその日から槍の鍛錬を始めた幸村に昌幸が告げた。
伊達の許へ行く、恐らくはそのまま徳川と決戦だ。
 
昌幸は、自分の身体が回復する時を待っていたに違いなかった。
 
 
 
あの篭城戦で残った兵をかき集めた真田父子は、足利の地で伊達家当主・政宗と邂逅を果たした。
政宗は陣幕の内に据えられた床机に腰掛けたまま、幸村は父に倣ってその前に膝を付く。伊達の旗下に属することを決めた者としては、当然のことである。
 
「これよりは伊達家に御味方すべく参陣仕りました」
 
昌幸がそう告げた瞬間、真田は正式に伊達の傘下になる。とは言え以前よりの密約で、この会談は滞りのないものになる筈だった。
 
しかし昌幸の言を受けて尚、政宗は暫く何も言わなかった。伏せたままの幸村に政宗の顔は見えぬ。
額づいた自分達を見て政宗が腰を浮かしかけたが、すぐに床机をきしませて座り直し、幸村は膝の上に置いた拳を握り締めた。昌幸が身動ぎ一つせぬ以上、自分が声を出す訳にはいかない。
 
「…苦労であった」
 
息詰まるような沈黙の後、政宗がやっとそれだけを吐き捨てるように呟いた。此度の篭城戦を持ち出してその働きを褒めるでもなく、今後伊達の為に尽くせという決まりきった言葉すらなかった。
だが昌幸はまるでその一言で満足したとでも言いたげに、頷くような礼を返す。
政宗の刺すような視線と、久しぶりのその気配に身を固くしていた幸村も慌てて頭を下げた。
 
「では早速御前失礼仕って、些少ではありますが連れて参った兵を改めましょう――幸村、そなたは殿に此度の上田での報告をいたせ」
 
苦笑いを浮かべながら昌幸と、政宗の傍に控えていた小十郎が辞すると、再び重い沈黙が落ちた。
はじめから人払いをしていたのだろう、陣幕の中には政宗と幸村以外誰もいない。
これが、あの饒舌と言うには姦し過ぎる、傍若無人を絵に描いたような政宗との対面だと思うと可笑しくて、幸村は彼に気付かれぬように小さく笑った。
 
「幸村」
 
やっとのことで掛けられた声は、うっかりすると聞き逃してしまうようなささやかなものだった。もそっと寄れ。そう言われるまま膝を僅かに動かして、幸村は自分の身体が震えているのを自覚する。
無我夢中で徳川を追い、上田に帰って来た時以上に自分を支配している生の実感が、只管に恐ろしかった。
 
「幸村、傷はもう癒えたのか」
 
自分が寝込んでいる間に、きっと父があの戦の顛末と自分の状態を知らせたのだろう。
既に自分達は主とその主従になってしまった。こんなことを言うのは無礼だろうか。それでもどうしても伝えたかったことを、幸村は頭を垂れたまま口にする。
 
「政宗、様――お会いしとうございました」
 
政宗のお蔭であの戦に勝てたのだとは言えなかったし、政宗もそんなことは一切言わなかった。あの瞬間、自分が槍を振るったのは確かに上田と何より自分自身の為。だが昌幸の言う通り、政宗に先日の合戦の報告をするのであれば、この言葉が自分達には一番相応しいように感じたのだ。
 
「うむ、その、何と言うか、儂もじゃ」
 
珍しく歯切れの悪い政宗の応えに幸村が小さく噴出す。一緒になって笑うか、そうでなければ笑うなと叱られるかと思ったが、予想に反して政宗は小さく息を吐いただけだった。
 
「幸村、笑ってないで此処に来い」
 
今だ口許を緩ませながら傍らに立った幸村の掌を政宗が取る。
儂がお主に下す最初の命じゃ。
座ったまま幸村を睨みつける政宗の真剣な表情に幸村も姿勢を正した。
 
「立たせてくれるか?」
「はい?」
「顔を見たら力が抜けた。情けないがさっきから膝が笑いっぱなしじゃ」
 
ああ、畜生、今頃絶対小十郎はお主の父と一緒になって儂を笑い者にしておるに違いないわ。言い訳がましくぶつぶつ呟いている政宗の手は、いつもよりずっと冷たくて、それでも暖かい。
立ち上がった政宗が、勢いはそのままに幸村に抱きついてきたのだが、手は固く握られたまま離されることはなかった。
武器を取るこの手がずっと互いの指針であるように、仮令どんなに冷たくても泥に塗れていても、政宗はきっと手を取れと言い続けるのだろう。
今、政宗が命じたこのことだけは、これより先も決して違えることはしまいと幸村は心に決めたのだが、それは到底戦場には似つかわしくな甘やかな誓いのようで、そんな思いをなるべく政宗に悟られぬように幸村は自分の震える指先に力を込めた。

 

 

やっと会えたね!間に合って良かったね、まーくん!
ここだけは、格好悪い伊達にしようと決めてました。いつも格好悪…いえ、何でも。
いよいよ、徳川との決戦です。
(09/05/27)