八、佐和山篭城

 

 

家康の死を受けた三成は、それには顔色一つ変えず、黙々と政務をこなした。
豊臣不在のまま遠方の地で行われた天下分け目の決戦。この先の趨勢がどう転がっていくのか、最早考えるまでもなかった。豊家の治部少としての最後の仕事を、三成は只管に片付ける。
未だ戦か和議かで揺れる城内を纏め上げ、和睦の使者を選び、春を待ち伊達が家康亡き後の徳川を小田原に討ち取ったと聞いても、眉一つ動かさなかった。
秀忠は、家臣の命と引き換えに小田原城を明け渡し、腹を召したのだと言う。
 
「三成、内々に和議申し入れの返答が来た」
 
関ヶ原から此方、少し痩せた三成の元にやってきた大谷吉継の言葉に、彼は詰めていた息を吐き出した。
長かった。
こうして息をしたのは久方ぶりな気がした。
 
「どういった条件かはまだ分からぬが」
「秀頼様と豊臣の家名が保てれば、それで良い」
 
端的な物言いに、治部少輔としてではなく、石田三成個人の感想を漏らしたのだと分かった吉継が、苦々しく笑った。だがそのまま黙り込んだ三成に、すぐに真顔に戻る。
吉継がずっと抱き続けてきた懸念は、彼の願い空しく現実のものとなろうとしている。
 
「では後は任せる。吉継」
「佐和山へ戻るのか」
「ああ、後のことはお頼み申す、大谷刑部」
 
そう言われれば頷かぬ訳にはいかなかった。今この瞬間、三成は豊臣の臣であることをやめたのだと思った。
俺の変わりに、その病魔に蝕まれた身体で、盲いた目で伊達の世に続く豊臣を見守れ、そう三成は言っているのだ。「何も相談せんと、結局はいいとこどりかって怒ってたって言うたってや」呆れ声に隠し切れぬ焦燥を滲ませながら言付けられた弥九郎の言葉は、伝えられそうになかった。
 
「紀之介、俺は謝らんぞ」
 
分かっている、お前は何一つ捨てようとはしていない。お前が豊家も俺達との友誼も捨てぬ限り、俺はそれに応え続けよう。
顔を覆った頭巾を外し、小さく頭を下げたら、見えない筈の目に大きく頷く三成の姿がはっきり映った気がした。
 
 
 
 
 
三成が居城に帰ってきたのはあくまで和議の目途がついたが故の一時的な帰還だと思っていた。出迎えた左近が茶を差し出しながら語りかける。
 
「では殿もお忙しくなりますな」
 
天の趨勢は既に決まった。
三成最後の大仕事は、豊臣の立場を可能な限り守りながら伊達に膝をつくことであろう。乱世は歓迎すべきものではないが、政治家ではなくあくまで軍略家を名乗る左近としては、やはり寂寥感は拭いきれない。
やれやれ。
和睦の条件を語らせるには、我が主は些か頑なに過ぎる。そこを巧く立ち回らせるのが左近の仕事かもしれぬが、此度の相手は政宗。今更三成の性格など知り尽くしているだろうし、そういう意味では信頼出来る。
左近の仕事は楽なものになる筈だった。
 
「やれやれ」
 
突如、終止符が打たれかけた戦国に万感込めて再びそう呟いたら、三成が冷然と立ち上がった。
 
「左近」
 
二万石、出そう。
かつてにこりともせずそう言い放った主の顔を、左近は何故か鮮明に思い出した。
 
「俺は、篭るぞ」
 
妙にきっぱりと、だが薄い笑いを浮かべて三成が宣言する。その一言で充分だった。

 

 

小西出したんは、ただの趣味です。
(09/06/19)