「で、何しに来た。まさか本当に俺の末期の茶でも飲みに来た訳でもあるまい」
 
狭い茶室で一応型通りに座り、茶を点てはしたものの、三成は乱暴にまるで放るように正則に茶碗を勧める。
 
「どう飲むのだ」
「好きに飲め。茶を点てろとは言わんが、飲み方くらいは心得ておけ」
 
それは遺言か。咽喉に張り付いた言葉を正則は茶で飲み下そうとして派手に咳き込んだ。
相変わらず茶は苦い。まだ子供だった頃、母親代わりのねねが飲ませてくれたのだ。
大人になれば美味しく飲めるよ、ねねはそう笑ったが、自分にはまだ苦い飲み物としか思われぬ。正則の醜態を鼻で笑う三成にとっては、茶は美味いものなのだろう。
 
自分と三成の間のそんな他愛無い違いも、今となっては決定的な亀裂の一つに思えるのだ。
 
「篭るというのは本当か」
 
「秀頼様はじめ、豊臣の家臣共には抵抗するなと申し伝えてある。あとは吉継が上手くやってくれる。今や伊達は日の出の勢い、その伊達に身を寄せている将達が皆、かつての豊臣の恩義を感じているとは思えぬが、そういう者も居よう。政宗とてわざわざ犠牲を出してまで首を垂れた豊臣を潰そうとはせぬ。だが、それでは俺の気が収まらん。だから俺は伊達に弓引く。簡単なことだ。感謝しろ、馬鹿の貴様にも分かるようにこの俺が解説してやっているのだからな」
 
三成の早口は、正則への威圧に満ちていた。
余計なことは聞くな。そう釘を指されているようで、合戦の駆け引きも崇高な死合も知らぬ戦下手な治部殿がどの口でほざくか。そう罵ることが正則にはどうしても出来なかった。
 
「貴様は豊臣の人間だろう。気が収まらぬなどという言い訳が伊達に通じると思うか」
「俺はもう豊臣の人間などではない。そして俺は言い訳など言ってはいない。事実だ」
 
何と説得力のない台詞だ、正則は思った。
こ奴は豊臣を離れ、石田三成として乱を起こす。だが貴様は最期まで豊臣の人間だ。端からそれを放り出した自分には、三成を止める資格どころか、共に戦わせてくれと懇願することも出来ぬ、しかし。
 
「俺も、共に死なせてくれ」
 
正則の言葉が終わるか終わらぬうちに、勢いよく立ち上がった三成が手にしていた扇子を投げつける。それは正則の腕すれすれを掠め、妙に軽い音と共に畳に叩き付けられたのだが、正則は顔を上げるどころか身動ぎ一つしなかった。
 
「だから貴様は馬鹿だと言うのだ!貴様が死んで何になる!」
「ではお前の篭城にも意味があるのか?今更家臣を殺し、民を泣かせてどうする!豊臣の意地をお前だけが背負うことはなかろう!」
 
勢いに任せて口走った己の言葉に、まず正則自身が驚いた。三成の口から漏れた感嘆の声は掠れていた。
 
図らずも、己は真実を吐いてしまったのだ。
 
関ヶ原以来地に落ちた豊臣の権威。それでも秀吉の忘れ形見を葬ることが出来ず、せめて自分が城を枕に潔く討死することで、世間に思い知らせようとしたのだろう。
太閤の――まるで夢のような短い治世を心から喜び、それに忠節を尽くし、命を懸けることすら厭わなかった者が、本当に居たのだと。
 
「あの石田三成が、内府と引き分けた。治部もなかなかやる、関ヶ原の後、世間は俺をそう語った」
 
立ち尽くしたままの三成が天を仰いだ。
 
「そんな俺が世の流れに逆らって豊臣に殉じるのだ、これ以上の餞はあるまい。俺を見直した連中は、今度はきっと俺を嘲笑うだろうがな」
 
それは違う。多分、もう、誰も笑わぬ。
三成の名は歴史に残り、それと共に豊臣は後世に語り継がれる。かつて存在した政権、それは短命でこそあれ、間違ってはいなかった、そんな評価と共に。
 
「俺は関ヶ原での失敗を、こうして帳消しにしたいだけかもしれん」
「俺も、共に死なせてはくれぬか」
 
断られ、罵られるのは分かっていた。だが言わずにはおれなかった。
長い沈黙の後、三成が口を開く。小さな声だった。
 
「馬鹿には馬鹿の役割がある」
 
豊臣を、秀吉様の思いを正確に伝えられるのは、市松だけだ。頼む。
 
弾かれたように顔を上げると、三成が面白くなさそうな顔で此方をじっと見ていた。
 
「それに俺とお前が手を結んだら、紀之介が怒るぞ。事後処理が大変だろう。なにせ豊臣の忠臣二人が楯突くのだ。和睦も何もあったもんじゃない」
「忠臣だと。自分で言うな。それに俺は」
「甘えるな。少なくとも俺にとっては、貴様は秀吉様の鼻持ちならない阿呆な腰巾着で、それ以上でもそれ以下でもない、今でもな」
 
腰巾着はお前だろう。そう言って振り絞った笑い声は、途中から嗚咽に変わった。
かつての馴染みが男泣きに泣いているというのに、三成は顔色一つ変えず、何事もなかったかのように茶を点て直している。その態度が有難い、お前の最期の大仕事をもう奪おうとはすまい。三成が差し出した茶を、大量に口に含んで飲み下す。
今度は、咽なかった。
 
そう、俺は、こいつに赦される為にここまで来たのだ。

 

 

ぎりぎりまで三成を殉じさせるべきか迷ったのですが、
やはり彼は幸村や政宗と比べても遜色ない程、男気に溢れた人だったと信じているのです。
…でも辛い。予想はしていたんだけど、やっぱり辛かった。

(09/06/28)