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誰が見送りなどするか、俺は忙しい。
 
不機嫌を隠そうともせず主にそう告げられれば、佐和山を後にする正則を見送るのは自然、左近の役目になる。いつも通り喧嘩の後で苛立っているか、或いは単純な正則のこと、三成の行動に感じ入って左近にまで何か熱っぽく語ったりするかと思いきや、丁寧に頭を下げられただけだった。
 
「殿、正則さんは帰られたようですよ」
 
そう言って座敷を覗けば子供のように膝を抱えて壁に向かう後姿が見えた。
頭の回転が速くて考え事の好きな人間は、左近にとって興味深くて好ましいが、こういう場合には少々手がかかる。即ち、最善の策も己の命の重さも踏まえた上で決めた覚悟が、本物かどうか再確認する場合、ということだ。
 
「殿?」
 
そう言ってすぐ脇に腰を下ろす。
やはりこの主は武士ではない。
刻一刻と迫ってくる命の期限に熱く奮い立つことが出来るのは武士であるならば、最期の最期まで冷徹に見通したいと願う三成は、生まれついての官僚だ――そして困ったことに自分は、そんな主が嫌いではない。
 
「なあ、左近」
 
だが、考え抜いた挙句途方に暮れているか、泣きはしないまでもすっかり消沈しているか、そう思って顔を覗き込んでみれば、随分明るい声で名前を呼ばれた。そのまま口の端に笑顔を浮かべたままで三成は言う。
 
「左近、本当は俺は死ぬのが怖いのだ」
 
それはあたかも「何か甘いものが食べたいのだ」といった調子のようで、思わず「俺もですよ」と返してしまうところだった。死への恐怖にあっさり同調しそうな己に左近は吃驚する。疾うに覚悟は決めたと思っていたのに。
だが考えてみれば至極当然で、己が死ぬことに欠片の恐怖も感じぬ者などただの大馬鹿者であろう。はったりと高い矜持でそれらを押し包んだまま皆死んでいくのだ。
死を厭わぬ者が武士であるというならば、この世に武士などいない。
三成は勿論、自分もそんな死に方、いや生き方など出来ぬ。
 
と同時に、主がそのことを自分に告げたことに左近は感謝せずには居れなかった。この誇り高い、頑固で横柄で故に愛すべき主が、最期にその心情をこっそり吐露してくれたのだとしたら。
それは今までずっと身を粉にして尽くしてきた自分への最高の手向けだと思った。
 
「俺は死ぬのが怖い。笑っても構わぬ。今更逃げようなどとは思わぬが怖い」
 
そう言って笑みを一層深くする。
初めて見た時から綺麗な目鼻立ちをしているとは思ったが、静かに死を語る姿からは何故か愛嬌あるあどけなさすら感じる。
 
「左近もですよ」
 
今度こそ、正直にそう答えると、三成が突然姿勢を正して手をついた。左近には見慣れた、だが正面からは一度も見たことのない姿。かつては太閤に、そして今は秀頼に対してのみ三成がする、最上級の礼だ。
この平壊者が随分綺麗に頭を下げるものだ。三成に仕え始めた頃は意外に思ったが、今ならそれも納得できる。
この主ほど誠実な者はいない。
 
「俺はお前に甘えてばかりだ。策を弄させ武働きをさせ、今度は泣き言を口にし、更には最悪なことにお前に謝ろうとしている」
「ちょ、殿、顔を上げてください」
「すまぬ、左近。豊臣と、何より俺の意地の所為でお前達や民を巻き込むのだ」
 
篭城が決まっても三成は農民から米一粒無駄に徴収しなかった。殿の御為にと進んで兵糧を差し出した民一人一人に丁重に断りを入れたのは、左近だ。米どころか兵は皆志願兵だった。故に数こそ少ないが士気は高い。城内の女子供も避難させた。殿と死なせてくれと縋る者がない訳ではなかったが、断固として三成はそれを許さなかった。
 
左近の前についた三成の白い手は、細かく震えていた。恐らく彼は戦支度に明け暮れながらもずっとこうやって心中詫び続けていたのだろう。
そう思うと顔を上げさせることも声を掛けることも出来ず、左近は黙って三成の手に自分の節くれだった掌を重ねた。武器を取る己の手とは似ても似つかぬ掌。だがそれは確かに、戦うことを身をもって知っている者の掌だ。
 
「…すまぬ。だが俺と死んでくれ、左近」
 
本当は形振り構わず皆の前に手をついてこうして謝りたい。だがそうもいかぬ。三成は小さく頭を振った。
その声は完全に泣き声なのに、涙一粒零さず三成は謝り続ける。
己が泣くことすら厳しく律しているその姿こそが、何より饒舌に三成の覚悟を物語っている気がした。
 
若き頃は信玄に学び、いっぱしの軍略家気取りだった。自分よりも腕が立つものは当然居るだろうが、そこそこ武働きの自信もあった。
 
だが、この主に自分がしてやれたことは何だ。
 
「城内に居るものは皆、俺を慕って来てくれた者達だ。こうして俺を担ぐ意地も覚悟も既に出来上がっていよう。なのに俺が手をつき謝ったら、彼らの覚悟を穢すことになる」
 
そしてそれだけの人の命と覚悟を裡に秘めて、それでも静かに死が怖いと笑えるこの主は何だ。
 
自分だって死ぬのは怖い。多勢に無勢の混乱の中で、命を狙う者に四方を囲まれ、きっと最期に自分が感じるのは他でもない恐怖そのものだ。
 
それでも、きっと、後悔だけはすまい。
 
「だが俺は身勝手な罪悪感で押し潰されそうだ。お前を道連れにすることを許してくれ。そしてそれを謝ることも、許して欲しい」
 
三成の役目が豊臣に殉じることであるならば、自分はそれを支える為だけに此処にこうして居るのだ。
そう思ったら途端に自分の命が愛おしくなった。
厳しく躾けてくれた父も、抱き締めてくれた母も、軍略を教えてくれた師、慕ってくれる部下達、太閤と北政所、そして何より敬愛する主も。
もしかしたら三成は、戦に巻き込まれ命を落としていく兵達だけでなく、それに係わる全ての者に頭を下げ続けているのではないだろうか。だからこそ彼はあんな静かに笑い、涙を流さず泣くのだ。
 
「あなたと共に死ねて、俺は幸せですよ」
 
その瞬間の為に、生きていて良かったと思った。死にゆく者が生を愛おしんで何とするのだ、そんな疑問が掠めたが三成の姿を見てすぐに思い直す。
生死は、必ずしも相反するものではないのだ。願わくば、三成が同じ気持ちだといいと左近は祈った。
 
そう真摯に願う自分も、なかなか悪くはない。

 

 

死を前にして、やっぱり直前まであがいて欲しいし、自分と周りの人の為に死にたくないと祈って欲しい。
それでも、完全に納得は出来なくても、最期にこれでいいと何処かで思えれば、救いになるんじゃないでしょーか。

(09/07/02)