九、主従
「景勝様、直江山城守兼続、只今戻りましてございます」
伊達の軍に従じたのはあくまで監視のつもりであった。
景勝の決定に否を唱えることなど夢にも思わぬ兼続ではあったが、政宗と兼続の間に最早公然と流れる不快感が拭い去られたわけではない。征西を続ける伊達軍に数百の手勢を率いて参加せよ、そう命じたのは景勝だった。
参戦するか、傍観するか、全ては兼続の一存に任せる。
二人だけの席でそう言い放った主の顔を、兼続はまじまじと見詰めた。
かつては太閤に欲され、家康を震撼させた智をもってしても、主の考えが分からない。そんな兼続に景勝は小さく笑みながら言う。
「寝首を掻くも、そちの自由だぞ」
主は乱を望んでいるのではない。
たったそれだけの確信だけで兼続は伊達軍に合流した。政宗の戦に内心舌を巻きながらも眉を顰め、手勢は一切動かさず、そんな兼続に政宗が言った。
佐和山を落とす。貴様にはそれを見届ける義務がある筈じゃ、と。
「佐和山が落ちたと知らせが入った」
寡黙な主は言葉を濁さない。
何度とない書状の遣り取りを経て三成を義士と慕い、また立場を超えての友でもあった兼続は落胆隠せず、主の言葉に僅かに俯いた。いくら隠し立てをする必要のない主の前とはいえ、上杉の宰相として演ずべき姿勢まで自分は忘れてしまったかのようだ、そう思った。
「は。佐和山の兵、悉く討死。島左近はじめ諸将も皆、討ち取られたと」
寡兵ながら凄まじいまでの抵抗を示した石田勢は、しかし伊達の大軍に徐々に飲み込まれるように討ち取られていった。
戦の凄絶さ、混乱を示すかのように、検分された首は驚くほど少なく、死亡は伝えられたものの左近など見つかっていない将も多い。火に巻かれた城で三成が自害したとの報もあったが、政宗はそれ以上の探索をすっぱり打ち切り、未だ燻っているかのような天守跡に石田勢の全ての首と遺骸を埋め小さな塚を立てた。
家臣も雑兵も全て、取りこぼしは勿論、遺品を持ち去ることも許さなかった。
「石田三成殿、天守にて自害――だが三成が死んだなど」
信じられない、そう言おうとして兼続は、己が支えるべき主に自分が救いを求めていることを自覚せざるを得なかった。
これ以上どうすることも出来なかったのだ。そう言い切って欲しかった。
「死んだのだ、兼続。石田三成は死んだ」
静かな声で何度も繰り返される友の死を、兼続は奇妙な安堵と共に聞いた。炎に包まれた佐和山城を瞬き一つせず、網膜に焼き付けるかのように政宗の隣で見守っていた幸村の姿が思い出された。
「逃げて再起を図る戦などではないであろう」
伊達の帷幕で兼続が一人悶々と戦況を見守っていた以上に、景勝は様々なことを考えていたのだろう。
三成を語る主の声音はあくまで低く、兼続の勘違いでなければそれは実に自愛に満ちたものであった。
「武士の矜持というものがある。それに多くの者が命を懸ける。なんと愚かなことよ、何処かでそう思っていた私をあの者は見事に正してくれた」
恐怖を押し包む異常なまでの高揚。家臣から雑兵に至るまでのそれを、三成は佐和山の中心でじっと受け止めたのだ。無論、語られぬ悔恨も無念も共に。そうして己が見届けるべき者が全て滅んでから、腹を切った。
「私には石田治部殿の気持ちが分かるような気がする。家臣らの死闘から決して目を背けず、己の手で城に火をつけ、刃が自らの腹に突き刺さった瞬間、やっと彼は安堵したに違いない」
豊臣と、何より自分を打ち負かした伊達の為に、三成は自分の死すら完璧に行ってみせたのだ。
たかだか十九万石の小大名、だが太閤の名代として政宗に天を渡さねばならなかったが故に。
本当は分かっていたのだ。あの日、佐和山城を見詰めながらこれが最善だ、そう思った自分を兼続は嫌悪すべきか恥ずべきか、或いは誇るべきか分からなかっただけで。
「あ奴らは勝ったのだよ」
「あ奴ら、と申されますと」
「決まっているだろう」
景勝は静かに、透明な眸を兼続に向けた。
「伊達の譜代、そして真田が支えた政宗に、我ら上杉が手を貸した。瞬く間にあれだけの版図を広げた伊達に、あと必要なものは何だった?」
日ノ本全てが納得するような決定打が必要だった。次の天下人は伊達であると、万人が万人膝を打ち、称えるような、そんな。
「己の命に、かつての主家の価値と次の天下人の意義を上乗せして果てた三成は、真の勝利者ではないか?」
謙信は自分にとって余りに大きすぎる存在だった。義だけが自分と彼を繋ぐもので、だからこそ兼続はそれに基づいてこの世の全てを義と不義に二分しようとしたのだ。
そして己を投げ打ってでも景勝に尽くすことこそが、義でもあると。
廃墟となった佐和山を悼むようにその前で下馬し佇む政宗に、黙って頭を下げた自分が不可解で許せなかった。己が心から頭を下げるべきはかつての主と、そして景勝だけだと信じていた。
だがそれは間違いだったのだ。
三成の死は悼もう。だがもう痛ましくは思わぬ。
慶次や幸村と心から語り合い、政宗には相変わらず眉を顰めながらも主と共にその治世を見守っていく、それが自分の理想なのだ。
そして義は――。
ぽたりと雫が音を立てて畳を濡らした。義は、死んではいない、そもそも死ぬようなものではない。
「私は、お前のように泣くことも、他意なく頭を下げることも出来ぬ立場だ。兼続が今度もそうやってくれれば、私も助かるのだが」
表情一つ変えなくても、これが主の愛情篭った揶揄い半分の励ましであることを、兼続はもう分かっている。
あの政宗の後姿を自分は一生忘れまい。
だが最早、この義の体現者は、今や天下人となった政宗でも、偉大な主・謙信公でもない。
「この兼続、景勝様がお嫌と申されましても身命を賭して付き従う所存にて!」
もう身命など賭す必要などないと言うに。お前は相変わらずだ。
そう苦笑いを浮かべる目の前の主こそ、兼続が真に望んでいた己の義の体現者に違いなかった。
あの関ヶ原から年月にして僅か二年。
上杉が正式に伊達への恭順を示すと、それまで傍観を決め込んでいた各地の大名や天下取りに気炎を上げていた西国の家々の殆どは、まるで申し合わせたかのように政宗の前に膝をついた。
そうして三年目の春、政宗に征夷大将軍の宣下が下る。奥州王が名実共に日ノ本の王になった瞬間だった。
それでも三成のことは語っておきたかったので、上杉主従を出しました。
兼続は、義が正義とは微妙に違うことを知っている気がするのです。
景勝様も先代と自分の違いに悩まされていたと思いますが、兼続だって、偉大過ぎた先代の影を自分の中から振り払うのに必死だったと思うのです。
(09/07/11)