幸村が政宗のことをどう思っているかなんて、鈍い鈍いと言われる自分にすら予想がつくのだから、周囲の人は当然知っている、と三成は思う。まあ、兼続は分かってないのかもしれないが。
「この世界でも政宗どのとは敵同士なのですね」
遠呂智世界に迷い込んだ幸村は、いつだったか、軽い溜息と共にそう呟いた。
顔は曖昧な笑顔のままだったが、その声音は随分と切なくて、三成は「そうだな!不義の山犬には不義の遠呂智軍がお似合いだ!」と叫ぶ兼続の口を塞ぎながらも返す言葉を失ったものだった。
敵同士が辛い云々はさておき、もう少しよく政宗を観察しろ!と咽喉元まで出掛かった言葉を、三成は何とか呑み込む。
お前が政宗を見詰める時の顔を鏡でよく見てみろ、政宗も全く同じ顔でお前のことを見ているではないか。互いに恋い慕っているのは一目瞭然だろうに何をうだうだしているのだ。
大体政宗も政宗だ。
よく分からん意地を張って遠呂智軍に居続けるのはもう止めて(自分が意地っ張りであるかどうかについては三成は省みない)さっさと幸村を攫いに来るなり、遠呂智軍から足を洗うなり、すればいいのだ。
だから先日の騒ぎは、三成にとって到底理解できぬものだった。
やっと会いに来たかと思ったも束の間、政宗は変装とも言えぬ変装をして金を渡すとさっさと帰って行ったし、幸村は幸村でその正体に気付きもしないで「本当に助かりました、今度お会い出来たら金子をお返しして、きちんとお礼をせねば」などとほざいている。
事実、遠呂智Zの正体に気付けない幸村は、あれ以来きちんと財布を持ち歩くようになった。勿論あの時の団子代を財布の中にしっかり収めて。
いつ何時出会っても(幸村にしてみれば偶然の邂逅に頼るしかないのだ)きちんと金を返せるように心掛けているのだ。なんて律儀で、健気だとは思う、思うが。
「全くだな!あのような義士がこの世界に存在するなど、誰が予想したであろうか!遠呂智作りし世もまだまだ捨てたものではないな!」
「ええ、実に清々しいお方でした」
兼続のその感想は兎も角、無邪気な笑顔でそう返す幸村を見ると、三成といえど口を噤むしかない。
会いたいが立場上、そう易々と会いには来れぬ、そもそも会いに来る理由がない(だって政宗は片思いだと信じている訳だし)、そんな政宗の気持ちも全く分からんではないが、自分の心の中の突っ込みが誰にも理解されないのも、少々寂しい。
ヒロインを影に日向に支える正義のヒーロー気取りか、とりあえず俺を巻き込むな。そんな風に思っていたのに。
ああ、やはりあの時政宗を止め、さっさと幸村に正体を明かすべきだったのだ。三成がそう後悔するのは、それから随分経ってからのこと。
団子の代金足りない事件で味を占めたのか、政宗はそれ以来遠呂智Zを名乗り、度々幸村の前に姿を現すようになった。
にわか雨に驚きながら洗濯物を取り込んでいた幸村を手伝ったり、背中が痒くて困っていた時には何処からともなく孫の手を取り出してみせたり。
幸村は、といえば、偶然にしては出来過ぎのその出会いを、さして疑問に思うこともなく、無邪気に感謝の意を述べる。
先日の団子代もきちんと返そうと思ったのだが、随分優しげに隻眼を細め(隻眼なのに幸村は全く気付かないなどと!と三成は歯噛みした)「団子は美味かったか?」と尋ねられ、金子を差し出す幸村の手をそっと押し留めながら「これは受け取れぬ、あの団子は儂がお主に買ってやったものと思ってはくれぬか?」などとほざいたらしい。
それ以来、おやつに団子を食う度に、何処かうっとりした顔を覗かせる幸村に、何となくではあるが何もかもが分かっている三成は、しかし、何も言えないでいる。
いや、本当は「団子をじっと見詰めてどうかしたのか」と脱力気味に尋ねたのだが、「最近美味しそうな団子を見ると嬉しいような苦しいような気分になるのです」と返されてからは口を噤んでいる、といったところか。
それを普通は、切ない、と言うのだ。因みに団子に対して切ないのではないぞ。
だがそんなこと言ったところで遠呂智Zの正体も分からぬ幸村には何のことか分からないだろう。三成はもう何だか、投げやりな気分だ。
そうそう、テレビのリモコンが見つからなかった時だって、颯爽と現れ、テレビの裏をがさごそ漁って見事、リモコンを探し当ててくれたそうな。
「お主にそっくりの、愛らしい、じゃが悪戯者の仔猫がテレビの裏に落としておったのじゃ」
そんな阿呆なことを囁きながら。
危機とも言えぬそんな危機にいちいち付き合う政宗もアレだが、その都度大袈裟に感謝しながら「あんなに助けて頂いておりますのに、私はあのお方の名前以外何も知らないのです。せめて何かお役に立てましたら良いですのに」と項垂れる幸村も、かなりアレだ。
先日は三人で酒を呑んでいたところ、しこたま酔った兼続が「義!」と叫んだ瞬間酒を噴出し、布巾がない!と大騒ぎをしている最中に政宗が計ったように(いや、実際計っていたのだろう)姿を見せた。
「遠呂智Z参上!」
そう叫びながら懐からティッシュを取り出し素早く零れた酒を拭うと、あれよという間に新聞紙を敷き詰め、騒動の張本人である兼続には見向きもせずに幸村を見詰めながら、言うのだ。
「大丈夫か?兼続が一旦含んだ酒などお主には掛かっておらぬじゃろうな?」
「あ、はい。私は咄嗟に避けましたので…」
ついでにどうでもいいことだが、この時兼続の正面に座っていた三成は、兼続の噴出した酒を頭から浴びていたのだが。
無論そんなものが遠呂智Zの目に入ろう筈もない。
「ならば良い。友と嗜む酒は美味いだろうが、ほどほどにするのじゃぞ」
窓枠に足を掛けて振り返りながらそう言うと、小脇に酒を吸ったティッシュと、ついでに余った新聞紙を抱えながら退散して行く遠呂智Z。
遠ざかっていく馬蹄の音と、窓に駆け寄って外を見詰める幸村の微かな溜息を聞きながら、三成は、ゴミを持って帰ったのは褒めてやるがどうせなら俺も拭いていってくれと思いながら左近を呼んだものだ。
勿論、遠呂智Zの活躍はそれだけではなかった。
あれは早朝より槍の鍛錬に勤しんでいた幸村が、途中、今日は燃えるごみの日だということに気付き、両手にゴミ袋を持って慌てて往来を走っていた時。
作業を終えようとしていたゴミ収集車に、最早これまでと覚悟を決めた幸村の手から、何者かがゴミ袋を奪い取った。
「遠呂智ぜっと様!」
「待てい!これも持っていけ!」
政宗、いや、遠呂智Zはそう叫ぶと、収集車目掛けてゴミ袋を投げつける。
彼の実力か(銃の腕前を見るにコントロールは結構良いのだろう)或いは気まぐれな神の采配か、そのゴミ袋は見事に収集車の後部に吸い込まれ。
「な、諦めんで良かったじゃろう?」
と振り返る遠呂智Zに、幸村は言葉を失って唯こくこくと頷くばかり。
「あの、本当にいつもいつも…何とお礼を申し上げたら…」
「そのようなこと気にせずとも良い。此度は少々強引な方法に頼ってしもうたが、間に合って何よりじゃ」
「…遠呂智ぜっと様…」
上目遣いでそう呟く幸村に、思わず政宗は息を呑む。
無防備なまでに感謝を表し、憧れを隠そうともせず自分を見詰めるこの愛しい者の頬に手を伸ばしかけ――いかんいかん、儂はそんな不埒なことをする為に正体を隠して幸村を守っておる訳ではないのじゃ。
政宗は幸村に気付かれぬよう拳を握り締めると、未練を振り払うように(しかもなるべく幸村には格好良く見えるように)颯爽と踵を返した。
「よいか?ゴミは朝八時半までに出すのじゃぞ!」
「お、お待ちくださいませ!」
自分的に一番自信があると思う笑顔を浮かべると(顔で笑って心で泣いて、という奴だ)取り縋ろうとする幸村を無視し、政宗は去って行く。
取り残された幸村が、暫くそこに佇んでいたということも知らず。
思えば二人の関係に変化が訪れたのは、この辺りの頃からであったのだろう。
何故いつもいつも去って行く彼の人の後姿を瞬きも出来ずに見詰めているのか、幸村自身にもまるで説明がつかなかったし、背中にそんな幸村の視線を感じながらも逃げるように姿を消す政宗は、それには気付かぬように、唯幸村を守ってやる、そのことに滑稽なほど懸命に打ち込んでいた。
正体など分からなくて良い。
少しの時間でも会って、他愛ない手助けをして、それで幸村が毎日笑って暮らしていれば。
政宗は割と本気でそう思っていたのだ。三成辺りが聞いたら「もう俺には突っ込みどころが分からん」と顔を顰めそうではあるが。
今日も幸村は恙無く過ごして居るじゃろうか、案外抜けたところのあるあ奴は、今この瞬間にも儂の助けを待っては居らぬだろうか。(別に幸村は待ってなどいないのだが、政宗はそう思い込んでいる)
そう考えるといてもたってもいられず、政宗は古志城を抜け出して幸村の許に向かう。ここまでは普段と何ら変わりないことだった。
既に勝手知ったる幸村の館に忍び込み、濡れ縁に佇む幸村を見つけて政宗は足を止めた。
よしよし、今日は小五月蝿い兼続に困らされてもおらぬようじゃし、格別何か手助けできることは見当たらぬ。まるで覗き見のようで少々気は引けるが、偶にはぼんやりと月を見上げるお主を愛でるも良いものじゃて。ああ、これぞ正に眼福じゃ。
木の陰から身を乗り出しながら政宗がそんな風に思っているとは露にも知らず、幸村は、ほう、と一つ、重苦しい溜息を吐くと、子供のように抱えた膝に頭を乗せた。
「!」
驚いたのは政宗である。
何のことだかさっぱり意味は分からぬが、幸村は辛そうだ。儂が助けてやらねば!しかし、どうやって?
腹が減った訳でもなさそうだし、昼寝し過ぎて眠れなくなったという風情でもない。大体今日は昼寝などしてない筈じゃ!(何故それを知っているのだと政宗に尋ねられる者は、此処にはいない)
ああ、儂はどうしたら!焦る政宗の耳に、消え入りそうな幸村の声が届いた。
「次にお会いできたとしても、きっと戦場で、なのですよね」
そう言って幸村が見上げる先には、雲に隠れようとしている三日月。余りに頼りないその光は、幸村の表情まで詳らかにしてはくれぬ。
が、「どうして」幸村の囁く声だけはこの耳にしっかり届くのだ。
次に会う?戦場で?一体誰のことじゃ?
飛び出して行って無責任な慰めの一つでも言ってやりたいが、まるで縫い付けられたように身体は動かない。いや、情けないが、本当にそんなことをしたら、幸村が笑ってくれさえすれば良いという唯一の望みすら忘れて、正体が分からないのを良いことに、誰のことを考えているのだと掴みかかりそうな気がして。
見てはいけないものを見た。
政宗は肩を落とし、のろのろと踵を返す。幸村の呟きが聞こえたのは、その直後だった。
「…政宗どの」
忍んで来たことも忘れ、足音が聞こえるのも無視して、政宗は一気に駆け出した。
何故だ、何故儂の名を呼ぶ。
痛いほど手綱を握った手が熱くて堪らない。
「ゆきむら」気を抜くと漏れそうになるそんな叫び声を必死で押し殺しながら目暗滅法に走り回った政宗が古志城に辿り着いたのは、夜が白み始めた頃のことだった。政宗どころか、馬も息絶え絶えである。
「うわ、政宗さんどうしたの。ひっどい顔してるわよ」
冗談めかして眉を寄せる妲己に、軽口を返す余裕すらなかった。頭の中で何度も繰り返される幸村の囁きの所為で、妲己の言うことすらよく聞き取れない。
自室に戻って、先程の幸村の如く、膝を抱えること暫し、儂は何と都合の良いことを考えているのだ、政宗がやっと顔を上げたのはそれから数刻経った後のこと。
幸村のことだ、知己である己と干戈を交えることを憂いていただけかもしれぬではないか。もしも三成や兼続が自分の立場だったとしても、幸村は同じように、違えてしまった道を思いながら嘆息するだろう。槍を握り締めたままで。ああ、そうだ、あれはそういう男だ。だから儂はあ奴に惚れたのではないか!
なのに儂ったら、もしかして幸村も同じように好いてくれているのかなんてちょっとでも期待したりして!恥ずかしいわ!
先程とは打って変わって、今度は羞恥の余り頭を抱え床をごろごろ転がり回る政宗。恥ずかしいのはそんなフラグが立ったことすらスルーしてしまった正にそのことであるのだが、残念なことに政宗がそれに気付く術はない。
唯、自分がどうしたいのかについては痛いほど分かっていた。
幸村が元気なら、それでいい。最早気分は子供を見守る親のそれのようではあるが、少しでも手助けできれば良い、それだけは本当なのだ。
そして幸村は、肝心なことまで他人に守らせるほど実は弱くないのだということも、自分は知っている。
あのまま、立ち去って良かった、と思う。
それでも財布を忘れれば何とかしてやりたいと思うし、困っていれば助けてやりたいと思うだろう。それだけで充分ではないか。政宗は意を決したように立ち上がる。
至極勝手なことだが、お主を守りたいという気持ちに嘘はつきたくないのじゃ――勝手なことと言えば。
耳元で囁かれているように、未だ生々しく自分を呼ぶ声に胸を押さえながら政宗は考える。
昨夜のことは都合の良い記憶として自分の中にずっと残ってしまうのだろう、それは諦めて、いや、出来れば許してくれ。
やはり気付けぬのはお約束ではなかろうかと。
何でもアリな遠呂智世界には、テレビもあります、きっと。(今気付いた)
(09/10/24)