さて、幸村の想いには見事に目を逸らしたままの政宗、そして遠呂智Zの正体にも全く気付けぬ幸村の日々は、表面上至極穏やかに過ぎていく。
とは言え、幸村を守るという決意を新たにした政宗にとっては相変わらず忙しい日々が続くのだ。
 
「殿、幸村殿が散歩の途中で迷子になっておられるご様子です」
 
いつ如何なる時でも幸村の為に駆けつけられるように、草まで放ってその動向を探らせている政宗。寝耳に水のそんな報告にすぐさま立ち上がる。
遠呂智軍の軍規は、緩い。
 
「何じゃと!迷子になるなど…ぽてぽてと適当に歩いて居るからそうなるのじゃ!畜生、愛い奴め!」
 
いくら遠呂智が作った、設定どころか地理まで滅茶苦茶な世界だとしても、日の本一の武士が迷子になるなど情けないことこの上ないのだが、もうこうなると惚れた弱みである。政宗の脳裏には、不安げな顔でうっそうと茂る森の中を右往左往する幸村の愛らしい姿しか浮かんでこない。(別に森の中で迷子になっていると決まった訳ではないのだが)
 
「幸村は何処じゃ!直ちに案内しろ!」
 
 
 
忍を急かし息を弾ませながら馬を走らせた政宗は、愛馬を隠すと呼吸を整え、さも偶然といった何食わぬ顔でいつも通りの登場をする。
 
「遠呂智ぜっと様!」
 
少しだけ明るい表情を取り戻した幸村が(政宗の予想通り、幸村は少し不安げな顔をしていたので、政宗はそれにときめいてのた打ち回りそうになったのだが、我慢した)そうやって自分を呼ぶのも今まで通り。
 
「このようなところでどうしたのじゃ、幸村」
「それが…散歩をしていたら迷子になってしまったようで」
「それは難儀なことじゃな。儂が見知ったところまで送ってやろう」
 
そう言ってさっさと歩き出す遠呂智Zこと政宗の半歩後ろを、幸村がとてとてと付いてくる。
いつもは慌しい邂逅しか出来ぬから、並んで歩くのは久しぶりじゃな、政宗はそんな言葉をぐっと呑み込んだ。危ない、この姿で並んで歩くのははじめての筈だった。
 
元の世界でもそんなこと数えるほどしかなかったが、あの時も幸村は自分の少し後ろを遠慮がちに歩いていた。
そう思うと政宗には、幸村の足音すら愛おしく思える。もう病気だ。
 
「全く迷子になるなど、ぼんやりと歩いておるからじゃ」
 
そんな政宗だが、ぼんやりするほど何のことを考えていたのだ、とは聞けない。
 
「はい。全くもって面目ありませぬ」
 
幸村も苦笑しながらそう答えることしか出来ぬ。
何処に住んでいるのだとか、何故いつも自分を助けてくれるのだとか。尋ねたいことはいくらでもあるのに。
 
兼続殿が仰っていたのです、何処からともなく現れて救ってくれる正義の味方は、正体がばれたりすると星に帰ったり犬になったりするのだと。あなたも、そうなのですか?ばーど星とかから来た元締めの方に、正体を明かしたら犬にすると脅されているのですか?だから名前しか教えてくれないで、見返りなどいらぬとばかりさっさと去って。
 
――正体、ってことは、あなたの本当の姿が何処かにあるってことですか?
 
少し前を歩く後姿。煩わしいことは聞くな、と全身で物語っているようにも見えるのに、振り向くことさえしないのに、自分が付いてきているかどうか気にしながら歩く姿。
 
「あ」
「どうした?」
 
似ているのだ、彼に。もともとそれほど密な交誼があった訳ではないけど、決して忘れることなど出来ないその姿形も、仕草も。
思わず息を呑んだ自分を振り返って、訝しげに掛けられる、その声も。
 
「いえ、何でもありませぬ」
 
世の中には似ている人が三人はいると言うけど、あれは本当なのですね。
幸村は慌ててそんな言葉を呑み込む。もしそれを伝えるのであれば、この人に政宗どののことから話さなくてはいけない。
そんな的外れなことを思いながら、幸村は急に動悸が激しくなるのを感じた。
 
自分の裡で大事に大事に仕舞っておいた他愛ない思い出を話したくないのか、それとも想い人がいるということをこの人に気取られたくないのか、どちらなのかが分からない。
「お主は変なところしっかりしておる癖に、これじゃから」
何故、そんなことを言うのですか。まるで私のことを前から知っていたみたいじゃないですか。
少しだけ笑いを含んだ、でも決して嫌味には聞こえぬ台詞。
 
私には会いたい人がいるのです。そう言って顔を覆って蹲ってしまいたかった。
 
「…一体どうした?腹でも減ったか?」
 
黙り込んでしまった自分を気遣うように、掌がそろそろと頭を撫でる。具足で隠しても漂ってくる香り、髪を掬う彼の、指。
香などという風流なものなんて知らないけど、それは確かに似ていたのだ。
 
ずっと迷子でいられたら良かったのに。
せめて指から微かに漂ってくる煙草の香りがなかったら、もっと上手に笑うところをみせられたのに。
 
ねえ、私には会いたい人がいるのです。
 
なのに、誰に会いたいか分からなくなってしまう、次にあったら槍を向けるべきあの方になのか。
それとも自分の前を歩くこの男に、なのか。
 
 
 
けど幸村は頑張った。そりゃ物凄く、無駄に頑張ったのだ。
「ここまで来れば分かるじゃろう?」
見慣れた通りに出てそう言った目の前の男に深々と頭を下げ――振り返らずに去っていく姿を見たくはなかったから、顔も上げられなかった――館に向かってとぼとぼ歩く。
 
迷子よりも心細いことがあるなんて、知らなかったのです、なんで自分がそんなことを思っているのかも分からぬままに。
 
 
 
「事もあろうに迷子じゃぞ、迷子!儂、あんな可愛い迷子見たの生まれて初めてじゃ!儂が行く前に誰かに拾われんで良かったわ!」
 
幸村のそんな切ないときめきなど知らず、古志城に戻り満面の笑みで壁を殴りつけながら(じっとしていられないのだ)成実にそんなことを言って聞かせている政宗。
誰かに拾われたら迷子っていうより落し物だろ?つか梵がさっさと拾ってきちゃえばいいじゃん。
成実のそんな忠告は、残念ながら政宗の耳には届かない。
 
 
 
 
 
さてフラグは驚くほど立っているのに、一向に進展しない政宗と幸村であったが、それでも数々の事件は二人の(主に幸村の)心情に僅かな変化を齎したらしい。
今までだって政宗のことを考える時間がなかった訳ではないのだが、気付くとぼんやり溜息などを吐いている、更に気付くと頭の中で想っていた政宗の姿が遠呂智Zにすり替わっている。これではいけないと槍を握って鍛錬に励んでみるも、上の空。
熱いお茶でも淹れて頭をすっきりさせようと思ったら、茶を零していつもの通り遠呂智Z(つか政宗だ、政宗)に助けてもらう始末。
 
いくら似ているからって遠呂智ぜっと様を見て政宗どののことを想ってしまうなんて、失礼です!ってあれ?さっきまで逆のことを考えていたのに!
 
いくら政宗と遠呂智Zがあからさまに同一人物だろうが、幸村にとっては別人なのである。
政宗を想うだけでも飽和状態に達していた幸村の頭は、つまり、二人の想い人を抱えてパンク寸前なのだ。本人、気付いてないのだけど。
 
 
 
馬鹿ではないのだが、滅多に脳味噌をフル回転させて悩むことなどない幸村。それがここ数日はたった二人の男(いや、一人だけど)に占領されたとあっては、頭がぐるぐるするのも仕様がない。
何だか疲れました、暫くぼんやりしよう。
そう思って自室の座椅子に腰掛けようとした時のことだった。知らず勢いがついていたのか、幸村の身体がそのまま後方へと大きく傾ぐ。
 
「うわっ!」
 
手足をばたつかせて重力に逆らおうと頑張る幸村の耳に、いつもの声が響いた。
 
「遠呂智Z参上!」
 
ご丁寧に、よいしょ、と窓枠を乗り越えてきた政宗、もとい遠呂智Zは、すぐさま座椅子に駆け寄ると、背凭れに右腕を掛け椅子ごと幸村を抱き起こす。
 
「大丈夫か?」
「あ、はい。みっともないところをお見せして…」
「そんなことを気に病むな!それより後ろにひっくり返って頭でも打ったら危ないじゃろう!」
 
実際背後に頭を打ちそうなものなど何一つなかったのだが、それはそれ。
大事無くて良かったな。そう言い掛けた遠呂智Zの動きが止まる。ついでに礼を述べようとした幸村の動きまでも。
 
そりゃそうだ。幸村(座椅子も一緒だがそこは気にしない)を抱き起こした政宗の腕は、まだ背凭れ越しに幸村の背中を支えている。ばたばたしながらも咄嗟に何かを掴もうとした幸村の両手は政宗の首に縋りつくように回されていて、そう、端的に言えば丁度横に抱いているような。所謂、お姫様抱っこ、座椅子に下ろしバージョンだ。
それどころか、「危ない」と叱りつけた政宗は、その勢いのまま、ちょびっと圧し掛かっちゃったりなんかして。
 
「あ…え、ええと…」
 
政宗の肩から手を外すことも忘れ、幸村が声にならぬ呟きを漏らす。
不味いじゃろう!このまま押し倒したら、折角抱き起こした座椅子ごと、また後ろに転がるって!
ひっくり返りそうな幸村を助けるという志を貫こうと頑張った政宗だが、ぶっちゃけ劣情には敵わない。
 
「幸村…」
 
あああ、儂何をしようとしてるんじゃ!待て、儂の手!違うじゃろう?ここは頬なんて撫でとる場合、違うじゃろう?!
幸村がそっと息を吐く。心なしか首に回された腕に力が入ったような気がした。
 
「…私は、あの」
 
何事かを話そうとする唇を黙らせるように親指の腹でそっと撫でる。
いやいや、と力なく幸村が首を振ったが、右腕を背中と背凭れの間に滑り込ませたら、じっと潤んだ眸で見上げられた。
 
「ゆきむ」
「幸村!幸村は此処かな?!おっと、これは取り込み中だったか!成程、幸村もお年頃、ノックもせずに戸を開けるなど全く私の不注意、不義であったな!すまない!そなた達の愛を私も言葉で応援する、ということでこの無礼、許しては貰えぬかな?さあ、邪魔者は退散する故、存分に愛の好意に耽るが良いぞ!さあ!さあ、どうぞ、お二人さん!」
 
こんなハプニングの後に取り澄まして続きを行うなど、日の本一の武士だろうが、天下無双の壮士だろうが、無理に決まっている。
案の定政宗は慌てて飛び退り、同時に遠呂智Zから離れようとした幸村は、今度こそ椅子ごと後ろに倒れこんだ。
 
「ゆ、幸村!その、何じゃ!座椅子に座る時には背凭れの位置などに充分留意して座るようにするのじゃぞ!」
もう遅い。だが一応注意を喚起しようとすることは忘れない遠呂智Z。変なところ律儀な男である。
「はい!ご忠告感謝致します!」
と、此方は転がったまま、首だけ上げて幸村。
 
「何だ続きは取り止めかな?!返す返すも残念だ!遠呂智Z殿ほどの義士なら幸村を託しても良いと思ったのだがな!此度は未遂であったが、二人の愛の成就を私も願うとしよう!」
 
「ええい、黙れ!ば兼続!」
 
そんな捨て台詞を吐きながらも窓枠をひらり飛び越えようとした遠呂智Zは、足を引っ掛けて頭から地面に着地した。
 
「ぎゃっ!」
「お、遠呂智ぜっと様!」
「大丈夫じゃ…では、さらば!」
 
それでもまだ動揺は隠し切れず、時折遠くから何処かにぶつかる音と悲鳴、「馬鹿め!」と何か(もしかしたら自分に、なのかもしれない)に罵る声が聞こえたが、やがてそれも聞こえなくなった。
 
「遠呂智ぜっと様、私は…」
 
私は。
その後は何と続けるつもりだったのか。
 
「一廉の義士だと思っていたが、彼もまだまだ未熟なところがあるようだな、幸村!」
そう笑う兼続に尋ねても、勿論自分で懸命に考えても、答えは到底、出そうにない。

 

 

私は座椅子で後ろにひっくり返るのが、好きです。(そういう話ではない)
まさかこんなに話が進まんとは思わなかった…。
(09/10/30)