五、
戦後、敗残兵を狩るのは重労働である。それが集団ではない、たった一人の女で、しかもその女に戦う力あらば尚更だ。
未だ残る遠呂智の残党と数度の小競り合いを繰り返しながら目暗滅法に歩き回っているのではないかと危惧を抱いた幸村だったが、政宗にはどうやら思惑があるらしかった。
斥候に作らせた地図を長い間眺め数里進軍する、これを只管繰り返している。
滅茶苦茶にされた、そしてまっさらな勢力図の中で伊達の支配圏は少しずつ拡大していった。もとより領主も城主もいないも同然の地である。土地、そして民の保護と引き換えに傘下に入れという政宗の要求は何の滞りもなく受け入れられた。
三国に加え、織田や上杉、徳川ら、それぞれの勢力が各々の思惑をもって動いているとは思えない程、荒れ果てた世界は広かった。
「足元を固めることは重要ではありましょうが」
自分には政宗の深謀など到底分からない。そういった風情で恐る恐る疑問を口にする幸村に政宗は口の端だけで小さく笑った。
軍議の場ではなく、こうして二人だけで過ごす夜に、しかも寝物語の合間にそれを口にするのが幸村らしいと思えた。
付いていくと決めた以上余計な口は挟まぬようにと気遣う一方で、幸村の眸は明らかに「私にくらいは教えてくださってもいいでしょうに」という媚びた拗ねが垣間見えて、つい今しがたまで身体を重ねていたのは幸村であると実感する。緩やかに彼の髪を梳きながら政宗は褥に似合わぬ内容を語り始めた。
「この世界で最も効果的な武器は何だと思う?」
得物は武士の誇りだ。誇りと信念をもって手にした得物を手放すことは即ち死に繋がる。だが武器ともなれば話は全く違うのだ。
遠呂智が生み出したこの世界には千年の隔たりがある文化が混在していた。
蜀に身を寄せていた幸村も三国時代の多様な兵器に驚きはしたが、それでも自分がいた時代の兵器の火力には及ばなかった。
「兵に持たせるのであれば火縄、武威を示し城を攻めるのであれば、一先ずは大筒かと」
幸村の応えに正解の褒美と言わんばかりに政宗が額に口付ける。一生懸命考えているのに、話そのものをはぐらかされそうな気がして幸村はわざと真面目な顔を作ってみせた。
何故だろう、この世界に飛ばされて政宗と一緒にいるようになってから随分自分は政宗に、そして政宗はそれ以上に幸村に甘くなった、何かを埋めるように。
分かっている、不安なのだ。
政宗がいて良かったと思った。
何処から見ても政宗にしか見えぬ存在が、こうして自分を慈しんでくれる。不安を薄める為に抱き合うことに罪悪感を覚えるほど、自分達は簡単な関係ではない。
「物見の報告を聞いて妙だと思ったのじゃ」
「妙、ですか?」
「元の世に比べ、遠呂智作りしこの世界が地理も何もかもが出鱈目であることはお主も知っておるじゃろう」
確かに妙だった。上田の隣には成都があり、その横には同じ日ノ本にありながら幸村も見たことのない浦戸城が城主不在のまま聳えていた。
「儂がこれまでに押さえた土地がかつて何と呼ばれておったか知っておるか。国友に日野、そして根来よ」
「それでは!」
諸勢力が兵站、そして武器の補充すらままならぬ状況下で、伊達は早々に強大な軍事力を手に入れたことになる。ここ数日の進軍の真実が分かったと言わんばかりに、政宗に抱きすくめられる格好になっていた幸村が顔を上げる。
それを思いの外強い力で引き寄せながら政宗は先を講じた。
「この世界は遠呂智の気まぐれによって作られたのか?だとしたら日ノ本有数の火縄の産地がこうも同地域に存在していることは偶然か?」
答えの出ぬ問いを繰り返す政宗の指先に力が篭る。彼の力は痛みを伴うほど幸村の肩に爪を食い込ませたのだが、幸村は身動ぎ一つしなかった。
聞かれていませんように、と願う。彼の言葉が。憶測が。
誰に?
政宗の寝所として用いられるこの空間には、自分以外の誰も入れない。近寄って耳を欹てている者など、誰一人いない筈なのに。幸村は――衣擦れの音一つさせぬように真剣な面持ちで政宗ににじり寄ると、政宗の口元に耳を寄せる。
傍目には、抱き合っているようにしか見えないに違いない。傍目に?つまり、誰に?
緩やかな、しかし何処となく奇妙な決意を含んで聞こえていた政宗の声が、急に小声になったのは、唯の偶然か、耳を寄せる幸村を慮ったのか、それとも別の理由があるのか。
幸村には見当がつかないまま、彼の言葉の先を息を詰めて待つ。
「誰かがお膳立てしている気がせぬか?地の利は与えてやる、と。それで見事難敵を打ち破って見せよと」
その誰かに、聞かれぬよう。その誰かが仮令自分達に目を留めたとしても、睦み合うのに熱心な二人の姿に見えるよう。
存在せぬ視線から政宗を庇うように幸村は両腕で彼を抱き締める。何を食ったらそんなに大きくなるのだと政宗に噛みつかれる己の背丈に初めて感謝した。同時に思い出す。滅んだ筈のこの世界の邪悪なる創造主のこと。
彼はもういない。では、真の敵は誰だ。
妲己か、それともこの地の覇権を狙う誰かか、或いは――もっと人ならざる何か強大な。
「まさむ…」
我知らず呟いた呼び声は震えていたが、それを物ともせず政宗は呑み込むように幸村の口を吸った。唇を重ねたまま政宗がまるで謎掛けのような睦言を吐く。
「お主の居る場所、お主の手を携えて歩んでいける場所が儂の世界じゃ」
もしかしたら――政宗はもしかしたらこの時既に、かつて我々が存在していた世界を諦めていたのではないだろうか。暗闇の中を手探りで歩むような日々を思い出すにつれ、幸村はそう確信せざるを得ない。
だって本当のことはいつだって後からしか分からないのだから。
それは確かに、睦言、ではあったのだけど、その声はあたかも、これから決死の戦に挑むかのような切羽詰った緊迫感を含んでいた。口を割って入ってくる舌に気を取られてしまった幸村は、政宗の示唆に富んだ予感めいた覚悟をあっさり受け入れてしまったのだけど、もしも彼がこの時、そんな台詞を吐かなかったら、自分はこの先降り掛かってくる絶望と衝撃に耐えられただろうか、とも思う。
底知れぬ不安を薄める為に手を取り合うことは、決して間違ってなんかない。
やっとダテサナが出たぜ!
つか、ジャンル的には間違いなくダテサナだと思うのに、主人公だってダテサナなのに、
彼らの影が薄くなるのは本当何でだろうっていつも思います。
(10/11/22)