十、

 

 

秩序を作るのは、実はとっても簡単なのよ。
カミサマは混沌を束ね秩序を吹き込み世界を作った、ああ、そんな神話が真実だとでも言いたいの?いつだって歴史は改竄され、物語は都合良く歪められるものでしょう?例えば、姜子牙が渭水の畔で釣り糸など垂れていなかったように。彼はそりゃあ見事な軍略家だったわ、悔しいけど私を打ち負かすくらいにはね。研鑽を積み知を蓄え、我を滅して天の総意に従うのが聖人だって言うんなら、彼は恐らく軍略家に過ぎた。つまり姜子牙もまた、殷に取って変わって主に天を掴ませようという野望を持った人だったのよ。周公だか言うあの嫌なおじさんへの忠義もあったでしょうけど、その主の名を借り天下に号令を出したいと願うくらいは、彼は唯の将だったわ、貴方達と変わんない。
姜子牙が神なんかじゃなかったように、遠呂智様だって魔王なんかじゃなかった。そうね、あの大地を作り上げたのはカミサマかも知れないわ。だけどカミサマは、正確な意味での秩序なんていつだって作らなかった。自分の箱庭を、他でもない自分自身が満足いく出来栄えにする為に、この地に生まれた不要なものを洗い流し、或いは一つずつ摘み出し、投げ捨てただけよ。混沌はいつだって世界の周りに渦巻いているから、彼は――まあ、彼とか彼女とか、それともそういうものじゃないのか、私には分からないけどね――それらの捨て場所に困ることもなかった、それだけのことよ。ただ。
 
 
 
 
 
妲己を捕らえるという名目で広がりつつあった伊達の勢力圏は、今やかなり広大なものになっていた。
 
「この世界の天下でも取るおつもりですか?」遠呂智の消滅という事実に未だ湧く世界など眼中にないかのように、そして勿論表情には出さないが幾分焦っているかのような政宗の行動に、幸村はからかうようにそう言い「必要があればな」と政宗も意地の悪い笑みを見せながら答える。
 
とても真面目に尋ねる勇気はなかったし、政宗もきっとそうだったのだと思う。
が、そのままであれば事態はもっと簡単だったのだ。
自分が、政宗が気付かなければ。或いは彼が覇権に魅入られた唯の男であったのならば。
 
だが自分達はこの世界の不自然さに気付いてしまった。
決して増減せぬ兵糧。変化のない天候。
天守に登り青々とした田を眺めながら幸村は思う。あの田に、稲が実ることなどないのではないか。同じような雑草が毎日生え、同じようにそれを抜く作業を繰り返し繰り返し。時折水を引き入れ、畦で飯を頬張る農夫はそのことに気付いているのか。
自分が純然たる繰り返しではない、しかし不自然なまでに繰り返された日常を送っていることに。
 
 
 
 
 
事態の異常さを確信した政宗は、集められるだけの家臣を集め、こう言った。
 
「最早儂は伊達家当主ではない。そもそもこの世界で伊達家など何の意味がある」
 
その声音は怖いくらい真剣だった。いや、その言い方は間違っている。
まるで、許しを乞う者のようだった。かつての家臣らは関係ない、赦してやってくれと懇願するかのような。例えば、誰に?
 
以前からずっと感じ続けていた畏怖にも似た疑問を幸村は必死で抑えつけようとしたが、無駄だった。
我々に牙を向いたのは敵兵でも魔王でもない、世界なのだ。創造主を失った悲しみか、それとも予期せぬ闖入者への怒りか、原因はさっぱり分からなかったが、その推測は恐らく間違っていないだろうと思った。
それを相手に戦うことを決めてしまった以上、戦力は多い方が良いが、どんな戦になるかすら分からぬ。(そもそも戦にすらならぬかもしれないのだ)
政宗がそう言い放ったのも仕様がないことであろう。
 
この世界では最早何の意味もない領主という権力を笠に戦いを強いるには、敵は強大に過ぎた。戦乱の人間にとって世界は欲するものに他ならず、それが牙を剥くことなど想像も出来ぬことだったのだから。
 
遠呂智作りし世界がそもそも狂っている、という推測を一つ一つ並べ、噛んで含めるように紡がれた政宗の発言は、非常に長かったが、誰一人声を上げる者はいなかった。皆それぞれが各々気付いた奇妙な事象を心の裡に抱え込んでいたのだ、と幸村は思う。
 
本来、家臣らと同じように政宗の眼前で平伏すべき立場の幸村は、この時だけは政宗のやや後方、手の届くほど間近に控えさせられていた。
何故、と目だけで問うた幸村に、政宗は笑ったのだ。
 
「共に来ると言うたであろう?」
 
この世界にあって家名も立場も失ったも同然の幸村が、己の意思で発した一言に、政宗は縋っているのだと思った。
「前の世界」とやらは、なんとたくさんのもので巧みに己を縛り付けていたのだろう。多分、あの一言は、幸村が、真田家の進退やその他の家々の立場、そもそも己が槍を取る武士であるということすら忘れ、放った言葉だ。
 
幸村が、幸村として真に望んだことが今、政宗の背を押そうとしている。
それを喜ぶべきか嘆くべきか分からぬ幸村に、政宗は答えをくれた。
 
「儂の世界はお主と共にある、その言葉に嘘はない」
 
全ての価値が沈もうとしている今ですら。そう政宗は付け加えた気がする。
 
あの言葉は冗談でも睦言でもなく、本気だったのだ。
政宗は、何事もなかったかのように元の世界に戻る、という儚い夢を放棄し、この世界で生き残る為の算段を本気で考えている。隣に幸村がいる、たったそれだけのことで彼はこの禍々しい世界を愛そうとしているのだ。
血筋も、当主として、大名としての立場も何もかもが意味をなさないこの世界で、政宗が己の手で叶えようとした唯一つのことがそれならば、幸村にはもう家臣面して政宗に頭を下げる理由など一つもなかった。そうやって、二人で寄り添いながら、伊達家最後の軍議の開始を待ったのだ。
 
 
 
「考えろ」
 
政宗は言う。
儂に考えられる選択肢は三つじゃ。死を選ぶか、不自然さに目を瞑って素知らぬ顔で日常を続けるか、それとも何か別の方法を考えるか。「何か別の」それがどんなものか皆目見当も付かぬが。選ぶのではない、選択肢すら己で考えてみよ、そう続ける政宗の言葉を遮ったのは、小十郎だった。
 
「殿は何を選ばれたので?」
 
もう儂は殿ではないと言うに。政宗はそう言って不遜な笑みを浮かべる。
小十郎にとって答えはそれで充分なようだった。
 
「では私の取るべき道など、元より一つしかございませぬ」
「なればそれ以上は申すな。貴様の判断に他の者が引き摺られてはならぬ。誰のどんな意思も、咎められることがあってはならぬ」
 
出ていくと言うのであれば、当面の金子も食糧も持たせよう。出来ることであらば助力は惜しまぬ。もう身分など関係ない、何でも申し付けよ。
そう告げる政宗に場違いな程快活な声をかけたのは、成実だ。
 
「あのさ、それって倒せねえかな?」
「は?倒す?誰をじゃ」
「分かんねえけど、その訳分からん世界の理とやらを作ってる奴」
 
それこそ、神に弓引く行為だろう。幸村はそう思ったが黙っていた。
そもそもこの世界にそんな存在があるかどうかも分からぬのだ。時折感じるこちらを監視するようなぞっとする視線は、きっと己の恐怖が作り出す妄想なのだろう。
 
「どう足掻いても人の身で太陽は射落とせぬぞ?」
「でも梵はそれをしたいんだろ?それに俺、結構強いぜ?」
 
あの遠呂智だって倒せたんじゃねえか。成実は澱みなくそう続ける。
 
「理、天候、或いは時の流れそのものがおかしいのじゃぞ?それにどうやって槍を突き立てる気じゃ」
「毎日色んなところで俺が槍を振り回すとかさ。そしたら当たらねえかな、こう、上手い具合に」
「…貴様は阿呆か」
 
阿呆と罵られた筈の成実は、随分楽しそうに笑った。幸村は、政宗の纏う空気が変わった感触を覚える。
成実の言うことは確かに途方もないことだったが、確かに遠呂智をこの手で倒したのは事実だった。
 
忠勝、いや呂布すらも軽く凌ぐあの至高の武を持つ魔王は、どれだけの数を投入したところで雑兵などに討ち取られるような存在ではない。あの瞬間、智謀に自信を持つ者は大軍を束ね連携を密にし、遠呂智兵と死闘を繰り広げた。彼らが作ってくれる隙を縫って遠呂智と直接刃を交えたのは、三国の、そして戦国の猛将と言われた武人達だった。自分も、自らの隊を全て信之に預け、小十郎が支えてくれる背後を気にすることなく遠呂智に掴みかかった。
政宗がいて、趙雲がいて、幸村が遠呂智の鎌を辛うじて受け止めた脇から成実が懐に飛び込んだのだ。
あれは遠呂智にとってすれば、かすり傷ですらない攻撃だったかもしれないが、成実の刃があの魔王に届いた、その事実は幸村から恐怖を払拭するには充分過ぎる事実だった。
 
自分達の刃は、人でない魔王すらも斬ったではないか。
 
 
 
「何だか、出来そうな気がしてきましたね」
 
軍議が終わり、二人だけになった席で幸村は政宗にそう笑いかける。お前らは単純過ぎると政宗はぶつぶつ文句を言ったが、そこには悲愴感の欠片もなかった。政宗も、あの戦いを思い出しているのだろう。
 
「幸村、日ノ本はどうやって作られてか知っておるか?」
「さあ、出来たところなど見たことがありませんので」
「そうじゃよな」
 
そんな軽口まで叩き合える。勿論政宗が唯の雑談でこの話を終わらせる気がないのは承知しているので、彼の思考を妨げない程度の、ではあるが。
暫く黙りこくり、また逡巡した政宗は、やがて意を決したように口を開いた。
 
「口に出すのも聞かせるのも恐ろしい話だらけじゃ。だが…話しても良いか?」
「勿論です」
「イザナギもアマテラスも儂には倒せぬ。たった一柱の神すら、数多の人が集っても到底倒せぬ」
「ですがあれは神話で」
「そう、神話だからじゃ。儂の采配を持ってしても、お主の槍の腕ですら、存在せぬものは倒せぬ。仮に存在しておったとしても、神は人に倒されることはないという理の許に書かれた神話の中で、神が人に敗れることなど万が一にもない。だが遠呂智はどうじゃ?」
「遠呂智は…魔王で、それに強大とは言え、きちんと刃交えることの出来る存在でしたし」
「この世界を作ったのは遠呂智じゃ。世界の創造主のことを儂らは何と呼ぶ?」
 
指先にじっとりと汗が浮かぶ。
 
「もしも前の世界で儂らがいうところの神が、この世界には存在しておるとしたら?誰もこの世界の成り立ちを知らぬ。儂が遠呂智軍にいた時にも、誰一人そんな話を口に上らせなんだ」
 
幸村の脳裏に、既に見慣れた茫漠とした荒野が浮かぶ。拠り所一つない、未熟ささえ感じさせるあの大地。
ならばそれは正しく。
 
「この世界には神話もない。語られる何もかもがない。無論、人の身で神を討つことが不可能であると言う理すら、ない」
 
ならばそれは、正しく、神代の時代の人知を超えた戦争だ。
 
 
 
気の遠くなりかけた頭に、誰かの声が聞こえた。恐らくは――政宗に言われ、それでも政宗と共にあることを決めた彼の家臣の声だろう。「誰かがお膳立てしている気がせぬか?」いつかの政宗の言葉が甦る。
味方か、それとも罠か。
確かに幸村はこう言おうとしたのだから。
妲己を捕え、少しでもこの世界の情報を得なければ。遠呂智亡き今、彼に最も近い存在であった妲己を。
 
「政宗様、妲己の姿が城門の前に!」
「遠呂智軍か?」
「それが一人で、いえ、幼い娘と一緒に」
 
すぐに行くと答えた政宗は、声を落として幸村に囁く。
 
「儂らは遠呂智すら倒したのじゃぞ?」
 
幸村は微かに頷く。成実殿は凄いですね、流石です、と漏らしたら政宗が面白くなさそうな顔をした。
 
「流石、あなたの従兄弟殿です」
「そう言えば儂が機嫌を直すとでも思うたか?」
 
笑いながらも、幸村を立たせる為に差し出された政宗の掌は、じっとりと濡れていた。

 

 

ゲームシステム的なことは置いといて、遠呂智の話のおかしいところは、そーゆーとこだと思うんです。
つまり、遠呂智という強大な敵が現れたので、倒す、そこまでは良いんですけど、それ故にあっさり皆が手を組んでしまうこと。
信長包囲網で、包囲する側のあれこれを考えると、(別に反董卓連盟でも良いんですけど)あまりにさらっと協力しすぎていないか、と思えるんです。
その辺の違和感を何らかの形でお話に組み込めたらいいなーと思うんですけど、これがなかなか。
あと、政宗が遠呂智軍にいた時にも蜀に来た時にもきちんと付いてきた伊達家家臣の皆さんのことを考えると、
やはり政宗はついていきたいと思わせる主だったんだろうと思うので、面倒だけど逆に伊達家解体は書かなきゃいけないかなと思って。
政宗は個人的な話に家臣を巻き込むような人じゃないですよ、って夢見たってことですわ。

成実に関しては、唯の贔屓です、贔屓。
(10/12/20)