十七、

 

 

政宗達を出迎えたのは、長政の好意の現れだったらしい。是非城で数日の休息を、と勧める長政に、初めのうちは幸村も遠慮をしていたが、政宗がその申し出をあっさりと呑んだ。
何故とこっそり尋ねると、短く返される。「味方は多い方が良い」最初から長政を巻き込むつもりはないかもしれないが、もしも彼にその気があれば政宗は協力を願い出るつもりだったのだろう。
 
妲己の姿を認めた長政は何も言わなかった。ただ小さく頭を下げただけだ。
甘寧だけは「うわっ!お前、妲己か?」と指をさし、卑弥呼から「おっちゃんも妲己ちゃんを苛めるんか?」と噛み付かれていたが。
 
「おっさんじゃなくてお兄さん!大体おっさんっていうのは呂蒙のおっさんみたいな奴のことを言うんだぜ?」
「りょもー?」
「呂蒙のおっさんっていうのは、もさっとしててな…だから、こう、もさっとしてるんだよ!」
「…仮にも孫呉の南郡太守に向かって、もさっとしたおっさんか」
 
だからな、こういう奴だよ、と乾いた地面に座り込み呂蒙の絵姿(それは勿論全然似ておらず、政宗にも幸村にも大小様々な丸にしか見えなかったが)を描き出した甘寧と、同じようにしゃがみ込んで甘寧の手元を見詰める卑弥呼には、政宗の突っ込みは聞こえなかったらしい。
急速に甘寧に懐いた卑弥呼は、彼の頭を飾っていた鵞鳥の羽を強請りさえした。
 
「ちょっと卑弥呼、何やってるのよ。後で同じの作ってあげるから止めなさいって」
「同じのなんてあるんか?」
「ねぇよ。これは俺達の隊の印だからな。仕方ねえ、一本だけだぞ?」
「たい?」
「あー、何だ。仲間って意味だよ」
 
卑弥呼は随分喜んだが、妲己は何とも微妙な顔をしていた。
「気にすんなよ、唯の鵞鳥の羽だからさ、また毟ってくれば良いんだよ」仇敵だった筈の妲己に笑ってそう言う甘寧に「私が気にしてるのはそのことじゃなくて、あんなもの要らないって言いたいの」という妲己の文句が聞こえなかったのは幸いだった。
長政はそんな遣り取りを始終笑みを崩さず見守っていた。
 
それは何だか荒野にそぐわない、奇妙な程に平和な光景だった。
 
 
 
そんな相手であったから、政宗も真実を明かすのを躊躇していたのだろう。
ささやかなだが心を尽くしたもてなしの後で長政に旅の目的を聞かれた政宗は「蜀に火急の用がある」とだけ告げた。
「その旨は既に手元に届いて居ると思うが?」
傍らの市を振り返り頷き合った後、長政は政宗に手を付きつつも詰め寄った。
 
「では質問を替えましょう、伊達殿。非常に申し上げにくいことですが」
 
ここで長政は妲己に向き直って、一言、謝罪を述べた。
 
「未だ遠呂智との戦いの記憶薄れぬこの世界で、わざわざ彼の軍の重鎮であった妲己殿を連れ蜀に赴く目的とは?言われない誤解や、或いは害を受けることもあろう。某も伊達殿がわざわざ酔狂でそんなことをしているとは思えぬのだが?」
「浅井殿は信義の将だと聞き及んでいたが、蜀の将達が信じられぬと?」
「某は全ての者に盲目的な信を捧げているのではありません」
 
無論政宗も蜀の将全てを信じている訳ではないが、辛辣ともとれる言葉に、しかし長政は怯まなかった。
 
「信義とは、己と異なる志を持つ者の志すら信じること。それは他の者が己と同じ判断を下し、己と同じように動くと勝手に思い描くこととは全く異なるものです。蜀の将達の結束は固く、その結束の元は劉備殿にあると某は思っている」
「その劉備を害した妲己を引き連れ乗り込んできた儂を、奴らが諸手を挙げて歓迎する訳はない、ということか?それは承知の上であるが?」
「某はそんな蜀の将達に敬意を払わずにはおられません。しかしこうして伊達殿が一時とは言え某と交誼を持ってくださった、それに報いることもまた某の信義なのです」
「最悪、蜀と事を構えても構わぬと?」
「無論それは最後の手段であるべきだと某は考えているが。伊達殿もそうであろう?故にこれだけの少人数で赴くのだと某は考えたまで」
 
政宗は暫く何も言わなかったが、やがて苦々しい顔でそっと呟いた。
 
「儂は…浅井殿のことは良く知らぬが…それでもこんな事態でもなかったらこのような話は聞かせとうなかったと思うてしまう。勿論貴殿を見縊っておるのでも、安く見ておるのでもない。そして儂がこれから口にするのは、一つの可能性じゃ」
 
政宗は、長政と市、そして甘寧を交互に見比べながら続ける。
 
「後悔するやもしれぬぞ?」
「後悔などと」
 
おう、いいぜ、とあっさり頷いた甘寧の傍で、市が初めて口を開いた。
 
「奥州の独眼竜殿は随分優しいことを仰るのですね。人はそれから決して逃げられませんのに。詮無きことを後悔し散々に泣き濡れて、それでも翌日は目覚めねばならぬのが人間です。私はそうやって生きて参りました」
「その明日が、もしも来なかったとしたら?」
「…そういうことでしたら、私にもお伝えできることがあるかと思います。しかしまずは伊達殿のお話を」
 
そうして長い話が始まった。
 
 
 
政宗の話が終わった後でも、長政達の動揺は然程酷くならなかった。この底知れぬ事態に恐怖を感じてはいるのだろうが、それぞれが各々の方法でそれと戦っているのであろうことが握り締めた掌や噛み締めた唇から感じられた。
しかし重苦しい沈黙の後、躊躇いながらも市が声を震わせて話した事実は、長政を、そして政宗や幸村を戦慄させた。
 
「私は…私を消そうと言う者に会ったような気がします」
「まことか、市!」
 
長政が弾かれるように立ち上がり、市の肩を引き寄せた。
 
「悪い夢はいつか醒めると、もう苦しむことはないのだと告げて」
「…マジかよ」
「不躾なことを窺って申し訳ない。だが何故あなたはそれを拒めたのですか?」
「分かりません。私もてっきり力尽くで…しかし彼女は、どうしようもなくなったら、願え、と。唯、それだけを」
 
何故こんなに記憶がおぼろげなのかしら、あれは確かにあったことだと思っていたけど、夢みたいで。
 
市の言葉を遮って妲己が叫ぶ。
 
「彼女?彼女って言った?」
「…ええ」
「その女、すっごい冷酷そうな顔で頭に輪っかみたいなの、付けてなかった?」
「いえ、冷たそうではなく、むしろ優しく――でも頭上に光輪を頂いていて」
 
市がふいに嗚咽を漏らした。
 
「私は、あの方を見て」
 
確かに目の前の、独眼竜と謳われた青年は言ったのだ、神々に弓引く、と。
市の中で何かが符合した。
恐る恐る、彼女は口を開く。神に憚る内容を口にでもするかのように。
 
「…思ったのです、気高く慈母のような…それはまるで神のような」
「女カよ」
 
長政を押しのけるように市に詰め寄った妲己が呟いた。そのまま、縋るように市の肩口に顔を押し付ける。市は妲己の背にたどたどしく腕を回した。長政はぎくしゃくと天を仰ぎ、甘寧は小さく辺りを見回す。幸村も何故か背後を振り返りたい衝動に駆られたが、金縛りのように身体は動かなかった。ややあって幸村を振り返った政宗が床を滑らせた掌を幸村のそれに重ねる。
皆が、出来うる限り最小限の動きで衝撃を表そうとしていた。
大声を上げる気力も、ましてや立ち上がる勇気などなかった。
神の断罪、そんな言葉が頭を支配していく中で、政宗の手の温もりだけが幸村に感じられる現実だった。まだ市に縋ったまま顔を上げられぬままの妲己が言う。
 
「間違いない、女カが来たんだわ」

 

 

暫定的に世界を悪者にした話を書く以上、悪い人は出さないに越したことはないと思いながら書いているのですが、
とりわけ、浅井夫婦と甘寧を裏表のない良い人として書くは、迷いがないので楽しいです。
好きとかそれ以前に、浅井夫婦には、幸せになって欲しい願望が強過ぎる。
本当は長政様の信念をもっと格好良く書きたかったのですけど、残念。
あと、せめて名前だけでも出してしまうくらい、りょもさんは好きです。
実は、三国のシリーズで、それぞれのキャラの多様なデザインの中、
どれもこれも文句なしに大好きなのは、趙雲でも馬超でもなく、りょもさんだったりします。

補足になりますが、甘寧の頭の羽、鵞鳥かどうかは知らないのですが、
多分、夜襲時に部下にお揃いの鵞鳥の羽を配って云々の逸話が元ネタだと思ったので、鵞鳥にしました。悪しからず!
(11/02/03)