二十三、
趙雲は暫く思案していたが、政宗と幸村を劉備に会わせるということについては頷いてくれた。
しかし妲己と卑弥呼までも会わせるのはまだ早い上どんな危険が及ぶか分からない、という趙雲の申し出に、妲己はあっさりと此処に残ることを決めた。
「卑弥呼と出来るだけ一緒にいたいし」
そう言う妲己に、馬超ほどではないが趙雲も警戒を解き始めているのは確かなことだった。
趙雲に用意された陣幕で幸村は政宗に尋ねる。
「劉備殿と諸葛亮殿のこと、あれは本当でしょうか?」
この世界に飛ばされた皆が皆、あれを目にしたと思うには混乱が少なかったような気がしたのだが、少なくとも幸村は自分の周りの皆が幻視を目の当たりにしたと思っていたのだ。
「恐らくは本当じゃろう。あの馬超という男、確かに勘は良い」
鵜呑みにするなよ?と言いながら政宗は先を続ける。
「儂は曹操と孫堅――いや、孫呉は孫策と孫権も、かもしれぬな。奴らも見ていないかもしれぬと思うておる」
会ったことはない。が、いずれ劣らぬ三国の英雄達である。
「儂らの世界で言うのであれば、信長か。秀吉は分からぬ。家康も…微妙じゃな、分かるか?」
「前の世界で、時代を動かした者、ですか?」
「謙信と信玄も、含まれるやもしれんぞ」
それは人望があり、前の世界からの影響力を持ち、そして遠呂智打倒の為の包囲網で常に中心に立っていた人物。
「兵法の基本じゃ。敵の思考を読め。お主がこの世界の人間全部を消そうとしたら、どうする?しかもなるべく穏便に。浅井殿の奥方が言うたであろう?拒んだから消されなかったのじゃ。奴らの目的は儂らが跪いてどうか己を消してくださいと頼むことにあるのだとしたら?」
その真意までは分からぬが。
陣幕には二人だけだ。
簡易な寝台に身を横たえた政宗が腕を伸ばして傍らに座る幸村の髪をくすぐるように掻き上げる。僅かに身を捩りつつ幸村は言った。
「手始めに、どうにもならないと思わせる。絶望に叩き込んで、縋れる人を探させる。例えば――あれを見せぬことによって前の世界と何ら変わりなく振る舞える者を作為的に選ぶことが出来る。多少予想外の事態はあれど人々はそんな者の許に集まり、世界はずっと狭くなります。荒野の中ばらばらになった人を一人一人探し当て消すより、ずっと合理的です」
あんな荒野を見続けてしまったら、人は必ず思うに違いない。どうにかして此処で生きていこうと。
「続きを話すか?」
政宗の指がやわやわと髪を梳き、耳を辿る。幸村は倒れ込むように政宗の胸に耳を当てた。
「趙雲も馬超も城に行くのはどうにも気が進まぬ様子であった。馬超はともかく、あの忠義に鎧を着せたような趙雲が、この非常時に劉備の許を離れるか?何故あの二人は今の劉備の話を全くせんかった?」
「そう言われてみれば」
「儂は一度だけ、何もかもを放り出してしまおうと思ったことがある」
思わず政宗を見詰めた幸村に、そんな顔をするな、と政宗が笑う。
「これは全て悪い夢ではなかろうか、とな。何故夢の中でまでもこんな仕打ちを受けるのだと思った。ありとあらゆる不安だらけの世界で、儂に縋って来る家臣も何もかもが重いとすら思うてしまった」
もうそんなことは微塵も思っとらんぞ、と政宗は身を起した。寝台の脇に寄って手招きをするから、幸村も大人しく応じる。
幸村を傍らに横たえながら政宗は言った。
「天を取るには、野望も理想も、天の数だけ理由があるじゃろう。だがこんな世界では、大義にも野望にも意味などない。劉備の大義は漢室復興だったからのう。真っ先に破綻が来た」
政宗が覆い被さる重みと共に、彼の声が降って来る。
「劉備の身に何が起こったかは知らん。だが何かが起こったのじゃろう。明日儂らが会う劉備は、もうお主の知っておる劉備ではないと思えよ?」
どうしたって人は群れを作るのだ。それはこんな世界であっても、むしろこんな世界だからこそ。
そうやって人が集ったある日、その中心にいた人物に異変があったら。
急激に襲い来る何度もの絶望に、人は恐らく耐え切れまい。
「それで、私はどうしたら良いのでしょう?」
「鵜呑みにするなと言うたろう?」
「でも聞きたいです」
政宗の首に腕を絡めると、一瞬困ったような顔になる。それが可愛かったので「そんなんだから亡者の群れなんて言葉にあっさり騙されるのじゃ」という暴言は、一先ず許してあげようと思う。
「話が飛ぶぞ?」
「ええ」
「儂らの世界を作ってしまおう、幸村」
政宗の髪が耳に触れてくすぐったい。布越しに胸を撫で、腰を辿る指に導かれるように、幸村は身体を捻った。やわやわと続く愛撫は心地良いが、政宗の言葉を聞き逃すまいと、幸村は指の感触を伝える肌と耳に集中しようとする。
「妲己が言ったことを覚えておるか?」
彼女は言ったのだ、自分は世界の範疇にないと。ならば自分達もそうなってしまえば。
「あの城を出る用意をしておけと小十郎には言うておいた。今頃書状が届いておる筈じゃ。前の世界の遺物など全て捨ててしまえば良い」
「政宗殿、あの…もう少し待ってください」
そうか、と政宗は笑うと指を引っ込めた。変わりに両手で頬を挟まれる。
「家を作るのじゃ。伊達の殿様がふんぞり返って座っているような屋敷ではのうて。二人で、日々の生業のことだけを考えて暮らすのじゃ。それでもお主は槍を捨てぬだろうし、儂も死ぬまで得物は手離さぬじゃろう、だが」
政宗は長いこと幸村を見詰め、それから静かに口付けた。まるで別れを惜しむような長い接吻だった。
「大名としての儂や武士としてのお主は、あちらの儂らに任せておけば良い。何、大丈夫じゃ。遠呂智が作った土台の上に、三国と呼ばれた時代と儂らの時代が混ざるのだ。きっと前の世界の者の手には負えぬものが出来よう。卑弥呼も、妲己も居る」
儂はもう主ではないが、小十郎も成実も、皆生かしたいと思う。殿でも何でもないと思われようが、儂は儂の世界を奴らに見せてやりたいと思う。
それは致し方ないことじゃ。それでもいつか、言うたであろう?
「お主の居る場所、お主の手を携えて歩んでいける場所が儂の世界じゃ、と」
前の世界の自分であれば、何て不遜な考えだと眉を顰めたのだろうと思った。
しかし到底数え切れない人々が暮らす世界の中で、限られた人達と身を寄せ合って暮らすこと。つつましく静かに静かに。
世界とはもともとそんなものではなかっただろうか。
「で、そろそろ、良いか?」
「家ですか?」
「その話はもう仕舞じゃ」
幸村は頷く代わりに、傍らに放り出された薄い掛布を頭から被った。
掛布は洗ってから趙雲に返そうね!
(11/03/28)