二十八、
此方の手勢は本当に僅かだったから、女カが率いる軍が現れた時、幸村は正直面喰った。
てっきり、戦にもならないような大軍を引き連れてくるとばかり思っていた神の手勢は遠目に見ても、たった数百。
趙雲と馬超と黄忠の軍、甘寧や勝家を慕う部下達と、政宗に付いて行くと決め成実が率いてくれてきた兵達、それらを全て集めても千には僅かに届かない程度であったから、確かに一瞬、安堵した。前の世界の残骸である城には篭れない。選択肢は野戦しかなかったし、それ故に此処にこうして陣を布いて待っていたのであるが、意志だけの力では何ともならないことがある。
仮に十万の兵をあちらが連れてきたとすれば、勝ち目はなかったのだ。
安堵の後に、幸村は俄かに表情を引き締めた。あの軍は、おかしい。耳鳴りのようにも聞こえる足並みの揃った行軍の音も、彼らが巻き起こす砂煙も見えるのに。
そうだ、足りないのだ、いくら統率された軍だとしても絶対に隠せぬ多数の人が集まっているが故のどよめきのようなものが。
「睨み合いか」
幸村の隣で政宗が言う。背後の馬超が頷いたのが振り返らない幸村にもはっきり分かった。
「それで良い。此方からは絶対に手を出すな」
この戦には策の一つもなかった。いくら考えても利かぬ策など意味をなさぬ小細工と一緒である。
であれば浮足立って掴みかかった方が破れるのは道理であった。既にその命は、兵にも徹底して伝えてある筈だ。
それでも、もう一度見回っておこうと前線に赴いた幸村は、馬防策越しに見た女カの軍に背筋が凍る思いがした。
騎馬がおよそ二百、あとは弓兵と歩兵が占めている。そんなことはどうでもいい。距離があるので彼らの顔形までははっきりとは分からぬ。
しかし、彼らは恐ろしいまでに同一の姿勢で微動だにせず並んでいた。
天に向かって掲げられた槍の高ささえ、そっくり揃っていた。
顔立ちまでは分からずとも、一人一人の気配くらいは幸村にも分かる。その気配は、何処にもぶれがなかった。例えば、最前列で槍を持つ兵士と、後方で馬に跨る兵士、もしかしたら目鼻立ちは異なっているかもしれないが、同一人物だと言われればその通りと頷くしかないくらいに。
これは間違いなく神の軍隊なのだと思った。そう思った瞬間、たちどころに緊張が解けた。
必勝の奇策どころか、敵が混乱し背を向けることなど端からあり得ないのだ。
あの薄気味悪い兵の備えを崩し、最後尾にいるであろう女カに刃を突き立てるまではこの戦が終わることはないのだろうし、女カもそのつもりなのかもしれない――それが彼女の真意かどうかは分からぬが。
長い睨み合いだった。本陣で――伝令も近習もいない、陣幕も旗指物もないこの場をそう呼ぶのであれば、だが――女カは細剣を何度も抜き、また何度も鞘に収めた。
睨み合いは時間にすれば数日のことだったかもしれないが、悠久とも言える時を生きてきた女カにとってみても、それは長い長い時間だった。
「少しは落ち着け」
伏犠は呑気な声でそう言う。
人の子の兵などと違って、彼らが率いる神丹兵には感情も何もないのだから、今更大将がどんな動きをしようが士気に変化はない筈だった。
なのに伏犠は何度も何度もそう言う。女カの苛々を増幅させるように。
「あの者共は、人の子とは言え戦を生業としてきた武将達だぞ。我らと違ってな」
彼の声にそう答えられただけでも上出来だったと女カは思う。
最悪の事態だった。劉備さえ何とかすれば後は脆いと考えていた蜀は、女カの思惑通りには進まなかった。
何故人の子はこんなにも思慮に欠け、また往生際が悪いのだ。そう言いたかった。何故、彼らは私の手をすり抜けて行こうとするのだ。
その疑問が女カの苛立ちに拍車をかける。苛立ちの根底にあるものが何なのかは分からなかったが。
「…女カ、一つ尋ねても良いか?」
「何だ、改まって」
「良いのか?儂は最後の機会だと思うが」
女カはそれには答えず、細剣を振り上げる。それは突撃の合図に他ならない。
自分と志を共にすると言ってくれた兵は全て趙雲に預けた。そんな黄忠の役目は劉備を守ること、そして劉備を監視することだ。
故に黄忠は、逸る気持ちと、ついでに少しだけ、あの若造共め、ちょっとばかり儂より若いからってこの黄漢升を年寄りだと見縊っておりゃせんか、という大人気ない拗ねを抱えたまま、劉備の傍らで悶々と時を過ごしていた。
じゃが、もう良いだろう、黄忠は思う。
劉備に動く気配は全くない。大体この儂の気性などすっかり知っている筈の趙雲や馬超がここに自分を残していったということは、好きな時に戦に参加しろという意味に他ならないと思った。
「劉備殿、名残惜しいが儂は行かせてもらうぞ」
あの時から劉備は口数が極端に減った。もともとこの世界に来てから人知れず、いや誰彼隠し立てすることなく何事か悩んでいた劉備だったが、彼は捨てると決めた筈の玉座に座り込んだまま、強く言わねば食事も取ろうとしない。
「黄忠、何故そなたまで行く必要がある?」
それは当然の質問だったのかもしれないが、てっきり劉備が自分に声を掛けられる状態ではないと思っていた黄忠は一瞬目を見張った。しかしすぐに、さあ、ととぼけた口調で答える。
戦だから、それもある。
若造共が己を差し置いて活躍しておるなど許せんわ、それもある。
言葉に出来ぬ数々の理由、大体そんなもの初めから言葉に出来るならば、そもそも乱世などが存在する筈はない。
「さあ、何故でしょうなあ。自慢ではないが儂は考えるのが苦手でのう」
「勝ち目などないのだぞ」
「それは殿が決めることではないわい」
「もしも命を落としでもしたらどうする?」
戦で死のうが何だろうが、これを何とかしなければ結局先に待つものは同じであろうことを思えば、何と阿呆な質問じゃ、と言いたくなったが、一応我慢した。
一旦は自らの死すらあっさり受け入れそうになった主は、自分の危機を案じているらしい。それは何となく分かったので。
かつての世界で自分はよく粋がっていたものだ、戦場で死ねれば本望じゃ、と。その癖、こうも言っていた。口癖のように。
あっさりお迎えが来てぽっくりと逝きたいものじゃ。どっちも本当だ。
「どういう最期が待っていようが、儂は行かせてもらいまするぞ。仮令戦に勝った次の日に寿命でぽっくり逝こうがな」
殿も、そうしなされ。思わず言葉が口をついて出た。
「私にも戦えというのか」
「いや、好きなようにすると良いと言ったまでじゃ。皇帝を止めなさったら次に何をされる?よりどりみどりじゃぞ?」
死に場所など何処でも良い、投げやりでも何でもなく、そう思う。
「誰が見せたか知らんが、あんなお座成りな走馬灯ではのうてな!最後の最後に思い出すことは、愉快なことも後悔も多い方が面白いわい。あの爺さんは凄かった、そう言われて死ぬのが儂の」
野望じゃ、と言いかけて止める。
自分の野望はあくまで最高の弓の使い手になることだ。いけすかない魏の若造なんて足元にも及ばない、無論日ノ本のあの嬢ちゃんが平伏すくらいが望ましいのう。
「いずれはあんなお日様など、この儂が射落としてやるわい!」
薄紫の空に浮かぶ白い光を指差しながら(それは多分お日様のようなものだと思ったので)豪快に笑ったら、劉備が困った顔をした。
「いや、それが射抜かれてしまったら、皆も…私も困るであろう」
おや、と黄忠は思ったが、言葉にするのは面倒臭かったので相棒である弓を高々と掲げて劉備に背を向けた。
伏犠と女カの率いている軍には「神丹兵」という名前を借りました。
無双4の修羅モードで左慈センセが連れてくるアレです。
「倒れても倒れても復活する」が売りだったように記憶しているのですが、
ぶっちゃけ修羅モードで出会う呂布に比べたら何のことはない、ただの兵でね?
ここでは本当に名前をお借りしているだけです。
人ではない兵士という括りにしたかっただけです。
(11/04/15)