「これを山犬に渡しておいてくれ、幸村!」
無駄に元気良く兼続から押し付けられた紙袋を見て、幸村は苦笑を浮かべた。渡しておくも何も。
やれやれ、といった表情を浮かべる幸村の横に座っているのは当の政宗に他ならず、兼続はと言えば、その政宗の方をちらと見ようとすらしない。
素知らぬ振りを決め込んで弁当を頬張っている政宗だって同じことなのだが。
「だそうですよ、政宗どの」
「ふん、聞こえておったわ」
どすどす去っていく兼続の後姿を見送った後で、少々行儀は悪いが箸で袋を指しながらそう言うと、政宗が憤然と頷いた。中身は何でしょうね?と目で尋ねると、以前貸してくれと頼んでおいた本じゃろう、と返ってくる。
今朝方の、しかしいつも通りの派手な言い合いのおかげで直接手渡したくはなかったのだろうが、それにしても幸村すら知らぬうちに本の貸し借りの交渉を成立させている辺り、この二人は仲が良いのか悪いのか全くもって不明である。三成なんかはわざわざ目くじらを立てて「兼続、あからさまに政宗を無視するのは不義の行いではないのか?政宗も政宗だ。そのように癪に障る態度をとるな」と叱ってみせる。勿論、三成如きの忠告が二人に届こう筈もなく「今度はこの俺をスルーか!忌々しい」と舌打ちしながら胃をさする三成を宥めるのは幸村の役目だ。
こういう時、三成殿は本当にいい人だなあ、と幸村は思わざるを得ない。昼食を食べながら口出しをして、結局自分が消化不良に陥るなんて、幸村にはちょっと真似出来ない。だってこの二人は放っておいても明日になればあっさり普通に話をし、挙句判で押したように再び言い争いを起こすのであろうから。
学習能力がない、というよりこれは、どうあっても相容れない二人が、それでも考えに考えて辿り着いたコミュニケーションの手段なのだ。
互いに虫が好かないだけで、本気で嫌っている訳ではない(と思う、時々自信がないが)ことも幸村は知っている。そして面倒臭いと――いや、兼続が面倒臭い人間だと言いたいのではなくて――あっさり切り捨ててしまいそうな、そんな人間関係すら様々な手段で真剣に拾い上げようとする政宗の努力も、幸村は好きだ。
ただそれは当然、真田幸村が好いている伊達政宗という人物の本質ではない。
そういうところ「も」好きというのと、そういうところ「が」好きというのは、全く別物であって、きちんと好きだと伝えたかったら何物にも代え難い政宗の好きなところを見つけるべきではないか。そう考えるようになって以来、幸村の胸の裡は何だかすっきりしないのだ。
帰宅(幸村も下校途中だが、当然のように政宗の家に寄った)後、政宗はすぐに兼続から渡された袋を広げて中身を確認した。
「…何じゃこれは」
不機嫌な呟きと同時に政宗が袋から取り出したのは、書状、手紙というより書状と呼んだ方がしっくりくるような代物だった。
四面四角にきちんと折られた真白な紙には『山犬殿』と宛名があり、時代を誤ったかのような毛筆書きの書面は恐らく兼続の思惑通り、政宗をうんざりさせることに成功したようだった。
ぞんざいに兼続からの書状に目を通していた政宗が、ついに舌打と共にそれを投げ捨てる。兼続め!ああ、また始まったと幸村は嘆息した。
いつものことだ、いつものことなのに、今日は何だか気分が重い。
「どうかなさいましたか?」
「人に貸す本のネタばれを先に書く馬鹿が居るか!」
わざわざ手間のかかる嫌がらせをしおって。そんなことするくらいならもう少し有効に時間を使ってみせよ。床に打ち捨てられた兼続の手紙を丁寧に畳んでいる幸村に、政宗が言う。そんなもの捨ててしまえ。
「そういう訳には参りませぬ」
自分の声が存外冷たく響いた気がして、幸村は慌てて政宗に向かって微笑んでみせた。
本を読み終わったら目を通されるのでしょう?ここに仕舞っておきますね。
笑顔を貼り付かせたまま政宗にそう言い含めつつも、幸村の気分はぐらぐら揺れる。余り馴染みのない――馴染みがないのか、或いはない振りをしているのかは知らない――そのもやもやが一種の嫉妬だと気付いて幸村は首を傾げた。嫉妬?兼続殿に?よりによって兼続殿に?
心の中でそう呟いてしまえば馬鹿馬鹿しさに幸村自身噴出しそうになるのだが、それは確かに嫉妬だった。
あのように長くて難しそうな本の内容を兼続は自分の言葉で伝えることが出来るのだ。そして政宗どのは兼続殿の手紙をきちんと理解なさるのでしょう?
その手紙に密やかに同封された兼続殿の嫌がらせまで、汲み取ってくださるのでしょう?
分かっている。兼続が政宗に送ったのはちょっとした(その割に政宗は酷く御冠ではあるが)お茶目な悪戯で、一方の幸村が政宗に伝えたいのはこれ以上ないくらいの好意である、比べ物になどならない。
でも手紙にひっそり添えた気持ちに気付いて貰えるなんて羨ましいのだ、それが只の嫌がらせでも。
兼続のように上手く、どころか、手紙の書き方すら分からない自分には、やっぱり思いを伝える術がない。
「政宗どのが好きです、だって」言葉はここで途切れたまま。政宗だったらその先を拾い上げてくれるだろうか。言葉に出来ずに同封した気持ちに気付いてくれるでしょうか?そうして幸村は再び愕然とする。本当に気付いて欲しい私の気持ちは一体何なのでしょう。
好きということすら上手く定義できない私が、あなたに伝えられることなんて本当にあるのでしょうか?
ソファに腰掛け本のページを捲る政宗の足元にぺたんと腰を下ろし、幸村は考え過ぎて訳が分からなくなった頭をそっと政宗の膝に乗せた。
本もいいですけどちょっとは構ってくださいよ。そう言葉にした訳ではなかったのに、絶妙のタイミングで政宗の手が幸村の髪を撫でる、政宗の視線はまだ本に向けられたまま。
でも頭に乗せられたその掌は、色々なものを吸い取ってくれる気がしたのです。下らない嫉妬とか、ちょっとだけ拗ねてみせようと決心した子供ぽい気持ちとか。これはすごく心地良い、目を閉じたら眠ってしまう程に。
大好きな気持ち、なんて大仰なものを汲み上げて貰えずとも、いいのかもしれません。本格的に襲ってきた睡魔の中で、ぼんやりとそう諦めたのは夢の中の自分だったのかそれとも。
諦めた、なんていう言葉とは裏腹に、自分の顔には抑えきれない笑みが浮かんでいるような気がして、幸村は政宗に体重を預けたまま僅かに俯くと、そっと瞼を閉じたのだった。
伝えたいけど、それってどういうこと?なんて本気で悩んでしまう辺りがもう愛です(笑)なーんてな!
(08/08/29)