逐一細かいことに口を出すかと思えば、政宗は関心のないことには一切見向きもしない。例えば、部屋の中は散らかっているのに、庭の手入れは完璧だったり。文庫本のカバーが曲がるのは許せないと言う癖に、本が日焼けするのは痛くも痒くもないらしいことだとか。
いつだったか、いい加減掃除でもしたら如何ですか?という幸村の提案を珍しくあっさり呑んだかと油断していたら、掃除機の掃除を熱心にしていた。ご丁寧に分解までして。「掃除機が汚かったら困るじゃろう」きょとんとした顔でそう言われた時には、さすがの幸村も全身から力が抜けたものだ。間違ってはいないが、それより明日のゴミの日に家中のゴミを纏めて出せるようにと考えてしまう幸村に、掃除機の綺麗さは全く関係ない。
そんな政宗の財布の中も、幸村からすれば大層不思議な状態である。
何と言うか結構お高い良さ気な財布だったような気がするが、幸村にとっては何の興味もないので良く分からない。それは兎も角、お札の向きは上下表裏きっちり揃っているのに、色々な所で貰ってくるカード類がみっちり詰め込まれ、時々店先で「糞、絶対どこかに入っていたのじゃが」とぶつぶつ言いながら中身を全部出して探している姿を見かける。
その上レシートやちょっとした紙の切れ端に走り書いたメモ、公共料金の領収書などがお札の間に伏兵のように潜んで、いや潜んでいるのならまだ可愛いが、今やそれが財布の主人のようなものだ。
その割に「スタンプカードの有効期限がそろそろ切れるところじゃったからのう」とか何とか言いながら、何でもない日にケーキを買ってきたりする。その相伴に与れることに文句などないが、それでもやはり幸村が、だからいい加減財布の中の掃除でもしたら如何ですか?と政宗に提案してしまうのも詮無き事であろう。
「…政宗どの、このレシート二年前のですよ」
「ほう、二年もここに潜み続けたとはかなりの猛者だのう」
「感心してないでください。これ捨てても良いですよね?」
「良いぞ。ん?儂、半年前にコンビニでおにぎりを八個も買うておる…何をしておったのじゃ…?」
八個も買うくらいなら、せめて腹に溜まる弁当を買えば良かろうに!政宗が過去の自分に突っ込みを入れる。
たかが数十センチの紙の切れ端だが、それは大袈裟に言えば政宗の歩んできた日常の記録の一部であり、こうして二人でそれを思い出すのは結構楽しい作業でもある。何より休み時間の暇潰しにはもってこいだ。
「ああ、それ三成殿達の分も入ってるんじゃないですか、おにぎり」
レシートの束を捲る幸村が指を止めた。
「これ、どうしましょう。御神籤、ですよね?」
今年の正月は一緒に初詣に行った。政宗が戯れにひいた御神籤は確か中吉で、神社の木に括りつけたのだ。「中吉なんて中途半端過ぎて絶対忘れてしまうわ」そう言っていたから却ってよく覚えている。
「…それはいる。儂のお守りみたいなものじゃ」
「御神籤ですから勝手に捨てませんけど、でもこれ凶ですよ?こんなの財布の中に入れっぱなしにして…」
「嘘か真かは知らぬが、その昔、神籤は縁結びの際の占いのようなものだったらしい」
急に真面目な顔で御神籤の胡散臭い起源を語り出した政宗を、幸村はじっと見詰めた。
「ついでにもう一つヒントをやろう。その神籤は儂が三年前にひいたものじゃ」
「二年前のレシートより猛者ですね」
失せ物出ず、待人来るが遅れる、争いごと避けるべし。
「全然良くないじゃないですか」
転居普請見送るが吉、旅行用心すべし。縁結びの占いなのに恋愛事は最後に載っているんですね、と言おうとして幸村は黙り込んだ。恋愛良。そう、三年前、それは多分。
幸村が弾かれたように顔を上げると、目の前にはにやにや笑う政宗の顔。
「…もしかして御神籤ひいて言うかどうか決めたんですか?結構気持ち悪いですよ、それって」
「な!気持ち悪いとか抜かすな!お主は男の純情が分からぬのか!」
それに神籤は偶々ひいただけで、そこにそう書かれておったから決心してお主のところへ行ったのじゃ。そうでなくともいずれはきちんと伝えるつもりであったわ。でも儂だって背中を押して欲しい時だってあるのじゃ、そう政宗が呟く。
「凶ですけどね」
「結果としては問題なかったであろう?」
そう問われれば幸村も頷くしか出来ない。という訳でこれは捨てられぬな、そう言ってたった三文字のご利益を(そんなもの本当は信じていないだろうに)大切そうに財布に仕舞い込む政宗を幸村は見守った。
そうだ、政宗は少なくとももう三年も自分のことを好きだと言い続けてきた、それに幸村が一言も返していないことに恐らくは気付いたままで。随分薄くなった政宗の財布を弄りながら幸村は思う。この御神籤は一体いつまでここに。
ふと、その御神籤の裏に捻じ込まれた紙切れに気付く。間違いようがない、うっすら透けて見える自分の筆跡。政宗の誕生日、贈り物だけでは何だからとメモ帳に「誕生日おめでとうございます」とだけ書いて渡したあの紙だ。いや、渡したというのもおこがましい。プレゼントの袋に一緒に入れただけの。走り書きのような文字と一緒に。よりにもよって信用金庫で貰った粗品のメモ帳を一枚ちぎって。
「…何で財布に入れておくんですか、御神籤とか」
そういう、くだらないものを。私なら迷わず捨ててしまえるような。なのに大事だとあなたは勝手に考えて、それを。
「財布なら絶対いつも持ってるじゃろう?」
しれっと答えた政宗に思わず手を伸ばしたくなって、幸村は慌てて自分の手を固く握った。
自分に繋がる、でも幸村にとってはどうでもいい諸々のもの。それを大事に大事に奉げ持つ政宗が本当に愛おしい。でもそんなものよりもっと傍に私をおいてはくれませんか。
ここが教室だという自覚がなかったら、そう伝えられていたかもしれないのに。いや、小さな声でなら。でもやっぱり。
口を噤んで俯く幸村の頭をレシートの束で数回ぺしぺし叩くと、政宗が立ち上がった。ゴミ箱の上でゆっくりゆっくりレシートを千切る。
「あれから三年か。儂らは随分のんびり歩んでおるのう」まあ、やることはやっておる訳じゃがな。
人が真面目に考えていたのにまたそんな言い方を。そう言おうとして顔を上げた幸村は、思いの外真剣な表情で細切れのレシートを眺める政宗を見てそっと息を呑んだ。政宗が手を離すと、小さな紙片はゆっくりとゴミ箱の中に吸い込まれていく。
「なあ、儂はゆっくりで構わぬから」
これ以上ゆっくりだなんて、もう進んでいるのか止まっているのかすら分からないだろうに。あなたは私に甘過ぎるのです。
だがそう言う訳にもいかず、只ぼんやりと頷き返しながら、幸村は、まるで小さな白い花が散っているみたいだと思った。
それでもやっぱり言えない幸村と、なんとなく分かるので甘くせざるを得ない政宗。なの?(聞くな)
(08/09/04)