頬杖をついてぼんやりテレビ画面を目で追っていた幸村が、肘を滑らせて額を強かに机にぶつけたのは、後ろから政宗が文字通り飛び掛ってきたからだ。洗濯物を取り込むのを忘れていた、そう言って出て行ったこの部屋の主が、すぐにばたばたと戻ってきてそのまま幸村の背中に抱きついたのである。
がつんといい音を響かせた幸村の顔を覗き込みながら「大丈夫か?」と尋ねるが、政宗が力を緩めることはない。辛うじて自由になる右手で頬をさする幸村が少しだけ恨めしそうな顔で振り返る。
「どうしたんですか、急に」
「ん?何でもないぞ」
何でもないってことがありますか、急に人に飛び掛っておいて。
そう呟く幸村の赤くなった額に悪びれもせずキスをすると、政宗が目で窓の外を示した。四角い窓枠の中は、そこだけ切り取られたような紛うことなきオレンジ色。夕焼けは綺麗かもしれないが、普段青なのか白なのか分からないぼんやりとした、だが広々としたものが一色に染まる様はむしろ暴力的で、幸村はそっと目を逸らす。その幸村の耳のすぐ傍で政宗が囁いた。
外に出たら凄い夕焼けで、お主を思い出したのじゃ。幸村みたいだと、思ったのじゃ。
政宗が自分のことを何だと思っているのか、幸村は時々混乱する。
ぐしぐしと少々乱暴に仔猫の腹を撫でながら「幸村によう似ておる」と笑っていたこともあったし、花を見て同じことを口にすることもある。猫はさておき、桜とチューリップ以外花の区別がつかない幸村にはその時、首を傾げることしか出来なかったのだが、仮にその花の名を知っていたとしても反応は同じだったと思わざるを得ない。
だって私は仔猫のように可愛くもなければ、花のように美しくもありません。
重過ぎる賛美はむしろ嫌味のようで、勿論政宗にそんな悪意がある訳ではないのだが、卑屈にもそう思ってしまうのも事実なのだ。
自分が何かに喩えられるのは不安だ、この上なく。期待が大きければ大きいほど、それに応えるのは大変になるというのに。皆が口を揃えて可愛らしい、美しいと賞賛するものと自分が似ていると言われ、心から喜べるものがいるだろうか。少なくとも自分はそんなに自惚れられぬ。
窓の外に広がるオレンジはそのまま濃さを増したかと思うと、後はあっけなく闇に呑み込まれていった。
「普段も、ある程度晴れていれば多かれ少なかれ夕焼けなんて見えるものじゃが」
まだ幸村に腕を回したままの政宗が言う。余りに見事な夕焼けは何だか苦しいのう。
隻眼を細める政宗の声は無邪気な憧憬に溢れていて、幸村は夕焼けなんかよりそれがずっと苦しい。自分が、政宗が憧れる夕焼けと似ていると言われたことが。
帰りとうはないか?それまで緩やかに回されていた腕に急に込められた力に吃驚して身動ぎした幸村の首に軽く歯を立てながら政宗が尋ねる。のう、お主は帰りとうなったりは、せぬか?
「帰るって」
何処に?ここから歩いて数分のところにある自宅を咄嗟に思い出さなかったのが自分でも不思議だった。ただいま、と玄関を開ける家は幸村にはそこしかないのだけれど。
「空を見たら何だか帰りとうなって、お主を思い出して慌てて抱き締めたら今度は何だか夕焼けが綺麗に見えて嬉しくなったのじゃ」
それでお主みたいだと思った。怖いほど綺麗なのに、笑いたくなるほど懐かしい。
「私はそんな大したものではございませぬ」
それでも素直になれなくて俯きながら小さくそう言うと、政宗は暫くしげしげと幸村を見詰めた後で盛大に噴出した。
「ああ、逆じゃ、逆」
もう今日は額をぶつけたり、目の前で噴出されたり散々だ。
唾がかかりました!と憤慨する幸村の頬を拭うと、笑いを堪えているといった表情を隠そうともせず、それでも政宗は自分が拭ったばかりの頬に口を寄せる。
「逆?」
「お主が似ているのではないぞ。夕焼けをみてお主を思い出したのだ、分かるか?」
分かりません。首を振りながら眸を閉じる幸村。
「お主が居らねば夕焼けは只の夕焼けに過ぎないということだ。儂は多分何の感慨も抱かぬ」
「…猫も?花も」
そうなのですか、と続けようとした言葉はそのまま政宗の口に飲み込まれた。
なんだ、それだったら自分だって数え切れないほどあるではないか。薄く幕を引いたような頭の片隅で幸村はぼんやり考える。目に映る景色も耳に入る話も、自分はいつだって心の中で政宗に報告し、重ね合わせていたではないか。昼も夜も、彼が傍にいようがいまいが、延々繰り返されてきた膨大な作業。だから政宗を思い出させるものなんて幸村の周りにはたくさんある。例えば、そう、それこそ自分のこの身体だって。
「猫も、花もじゃ。お主がそんな風に思っておったなら、もっと早く教えてやれば良かったのう」
「いいえ、帰りたくなる気持ちは私にもありますから」
何処に。それは言わぬまま、でも幸村はそっと頭を振る。
ここ以外には帰さぬぞ。そんな分かりきったことを本気で言う政宗がおかしくて、幸村は小さく笑うとお返しとばかりに政宗にすばやく口づけた。
いつも仲良さそうでいいですね←段々おざなりなコメントに!
(08/09/09)