「喧嘩した?政宗と?」
そんなに不味いことを言っただろうか。
そう聞き返したきり、ぽかんと口を開けたままの三成と一緒にいるのは何だか居た堪れなかったので、左近の真似をして「そんな顔をなさったら、ええと綺麗な顔が台無しでございましょうに」と言ってみたのだが、それすら無視された。せめて笑うか、そうでなくても「下らぬことを言うな」くらいは突っ込んで欲しかったのに。
いつも冷静な(その割に怒鳴ったり怒ったりしている気もするがそれはさておき)三成がこうまで呆気にとられた所を見たのは後にも先にも一回きり、兼続が一日中一言も喋らなかった時だけである。結局それは風邪で咽喉を痛めて「義」と叫べなかっただけだと判明し、翌日にはあの隣近所にまで響く大声を張り上げて義と愛を叫んでいたのだから、今となってはどうでもいい話だ。
数年前の兼続風邪騒動を反芻していた幸村に、やっと口が利けるようになった三成がもう一度尋ねた。喧嘩、したのか?政宗と?
「念の為に聞くが、喧嘩したのはお前と政宗なのだな。真田幸村と伊達政宗なのだな」
「…その聞き方も何だか嫌なのですが、間違いありません。私達は喧嘩中です」
「英文を和訳したみたいな言い方はやめろ、俺が悪かった。どうも信じられなくてな」
昨日の休日は会う予定ではなかった。三成は四六時中べったり一緒だと勘違いしているようだが、政宗と自分がいつも一緒にいると思ったら大間違いだ。会えない日だって結構あるし、会わないことだってある。勿論その逆も。
「で、結局昨日はどうしたのだ。会わなかったのか?それで寂しくなって拗ねているのか?」
拗ねているなどとんでもない。
休日の早い夕飯を食べてふと手持ち無沙汰になったら、急に寂しくなった。寂しい、なんてこの時点では大袈裟だ。政宗は今何をしているのだろう、くらいのちょっとした物思いで、間も無く兄が風呂の順番を呼びに来たら忘れてしまうくらいの気持ちだった。
そうこうしているうちに電話が鳴って、相手は言わずと知れた政宗で、話をしていたら今度は本当に寂しくなった。そんな感情を言いあぐねて困っていたら、政宗が呟いたのだ。声を聞こうと思ったのじゃが、電話したら会いとうなったわ。
「それで会いに行こうとしたら断られたのか?」
「いいえ、それで会いに行ったのです。短い時間ですが顔だけでも見たいと思って」
俺が聞いているのは惚気ではなく喧嘩の原因だよな?悪びれもせず、ええ、と頷く幸村は、三成の嫌味に首を傾げてみせた。
一体いつから話がこじれるのだ。直接そう聞いてやろうとした三成だったが、もう少し、と思い留まる。確かに、いつもは幸村の周りに必ず纏わりついている政宗の姿を、今日はまだ見ていない。
「政宗どのの家に着いて、そうしたら政宗どのが仰ったのです。儂の我侭でお主が来ることはなかったのだぞ、と」
酷いとは思いませんか?そう話し終えて一息ついたつもりだったのが、いつまで経っても三成の反応がない。仕方なしに幸村がもう一度口にする。
政宗どのは、酷いと思いませんか?
「…いや、全然分からぬ。何が酷いのだ」
どうしよう、俺は何か気の利いたことを言った方が良いのか、いやしかし。そんな台詞が書いてあるかのような困惑しきった顔で、しかし嘘の吐けない三成が一応遠慮がちにそう尋ねる。
「だって、それではまるで政宗どのの所為で私が呼び付けられたみたいではありませんか」
「その通りだろう、余り甘やかさぬ方が良いぞ、幸村。足を運ばせたことへの礼と詫びくらいはさせろ」
「でも会いたかったのは私も同じですのに」
もしも政宗どのが会いたいと仰ってくださるのが後一拍でも遅れていたら、私が言ったかもしれません。それなのに――結局は会いたいと思ったのは政宗で、幸村はそれを叶えただけ。自分があんなに寂しかったことなどなかったことにされてしまったのだ。それが悔しくて、棘のある言い方を政宗にしているうちに本格的に喧嘩になった。
そりゃ自分が悪いとは思っているが、何と言うか。
「同じなら、どっちも会いたいと思ったのなら良いではないか」
いいえ、同じじゃないのです。私の方が、そう言おうとして幸村は息を呑んだ。
ずっとそう思ってた。私の方が会いたかったのに、私の方が我侭ですのに。自分の方がもっともっと好きなのに、と。
でも口下手で鈍い自分には、我侭すら上手く口に出せない。
我侭を言うってことは、もっと上があるってことを知っていることだ。よく家に遊びに来る猫に戯れに高級な缶のご飯をあげたら、もうそれ以外は口にしなくなってしまった。
覚えさせられた贅沢は、二度と忘れられない。そして私はもう、この世で自分に与えられる最高のものを知ってしまったのです。
知ってしまったら戻れないことは分かっていた、だから知らない振りをしていたのに。あんなに怖がった私に、それを無理矢理教えたのは、あなただったじゃないですか。
なのに我侭すら伝えられない自分のことを政宗はあんな簡単に好きだという。
それなら自分はそれ以上に伝えたかっただけだ。政宗の大好きなところを取り出して、完璧に伝えたかっただけだ。それが上手く出来ないからってムキになって今度は八つ当たりをして。
「…謝ってきます…」
「俺は完全に置いてけぼりで、全く意味が分からんのだが」
「私はすっごい我侭だってことです。それと政宗どのは」
結局私にとっては一番だったってことですよね。
そう言おうとして幸村は口を噤んだ。出来ればこれは最初に政宗自身に伝えたいと思った。
「我侭さだったら政宗がぶっちぎりだと俺は思うがな」
そう言いながら、もう行ってやれとばかりにひらひらと手を振る三成にちょっと頭を下げて、幸村は歩き出した。
政宗を探して謝って、そうして一世一代の告白の一つでもしてやろうと思ったら笑みが零れた。頭の中はどこか他人事で、なのに口からは鼻歌まで漏れそうだ、喧嘩中だというのに。
「三成、幸村はどうかしたのか?」
席を外していた兼続がそう言って戻って来た時、三成は思わず身構えた。経緯も理由も俺には結局よく分からんかったが、幸村を泣かせようものなら容赦はせぬぞ、政宗め。
「何だか浮かれた様子で歩いていたぞ!また山犬と何かあったのか?!全く幸村は分かりやすいな!」
そう、何かあったのだ!とつられて叫びそうになった三成は、浮かれた様子?と首を傾げる。
あいつら、幾ら何でも仲直りするの早過ぎるだろう!
我侭だろうが何だろうが、互いしか見えてない恋人達の喧嘩の相談に乗るなど全く持って馬鹿馬鹿しいことであるという教訓を、三成がご自慢の脳味噌にくっきり刻み付けている頃、すっかり喧嘩中であることを忘れた幸村が、やっと見つけた政宗に笑顔で駆け寄っていた。
要領悪いのがコンプレックスなんだろうなあ、幸村は。と勝手に認定。
続くと思います。
(08/09/25)