※前のから続いているようなないような。
「政宗どの、我侭を言って申し訳ございません。結局政宗どのは私にとって一番ってことでした」
昨夜、よく分からないまま臍を曲げて「もういいです!」と帰っていった恋人が上機嫌で近寄って来たと思ったら、開口一番これだ。全く意味が分からない。
政宗が阿呆みたいに口をぽかんと開けて、幸村の顔を見上げてしまったのも致し方あるまい。
「ええと、ですから申し訳ございません、と」
「ああ、うむ。儂も悪かった。ような気がしない訳でもないような」
それでもにこにこ笑いながら謝罪の言葉をゴリ押ししてくる幸村につられ、政宗もそれらしいことを口にする。仲直りですね!と喜ぶ幸村が可愛かったので、政宗も仲直りじゃ、と頷いてみせた。
付き合いの長さも結構なものだが、実は(三成や兼続は気付いていないだろうが)喧嘩した数も履いて捨てるほどある自分達には、これくらい軽い仲直りが丁度良い、真面目にそう思っている政宗は幸村をそれ以上追究しない。
三成に会えば、いつものように、普段の三割は増したと思われる眉間の皺と共に説教されるのだろう。その言葉尻を捕らえて兼続が「不義不義」喚くのも分かりきっている。
「原因も分からぬまま言い争いになってなし崩し的に仲直りして、それで互いにしこりは残らんのか?」以前そう言ったのは三成だったか。なるほど、そういう考え方もあるのだなと妙に納得してしまい周囲を呆れさせたが、幸村が放った「喧嘩の原因?私も覚えていません」という鶴の一声でその話題はあっさり闇に葬られた。
そんな他愛無い出来事を思い出す。
ここで顔突き合わせて腹まで割って話し合ったほうがいいのか?何と言って?昨夜の不機嫌の理由を教えてはくれぬか、とでも。幸村に今更それを話させて何の意味がある?
いつも何処か困ったような微笑を浮かべている幸村は、怒った時も、嬉しい時ですら表情が余り変わらないと三成なんかは言う。馬鹿を言うな。本気で怒った時の幸村の笑みなど凄いぞ。それで何度走馬灯を見たことか、そう思いながら幸村を見上げたら目が合った。
こういう時、幸村はいつも小さく笑う。例えば授業中でも、それこそ他人と話している時でも。これでも表情が変わらんと申すか。そう三成に突っかかってやりたかったが、やめた。何が悲しくてわざわざあんな奴に、自分の大好物の笑顔を見せてやらねばならぬのだ、第一狐なぞには勿体無いわ。
はにかみながら小首を傾げるその行動には多分何の意味もなく、だからこそ政宗は安心して、そして少しだけ切なくなる。
恐らく、自分にはあんな風に振舞うことなど出来やしない。
「幸村、儂はお主が好きじゃぞ」
だからせめて、たくさん伝えてやろうと思った。幸村のように静かに笑って寄り添って、安堵する場所を作ってやることなど到底自分には出来ない。それでも、幸村が不安にならぬよう。その為に出来ることは口に出して言ってやることだけだと思った。
それがどんなに拙くても、膨れ上がってもうどうしようもない気持ちとはお世辞にも釣り合っているとは言えないような、たった数文字の言葉だったとしても。
政宗のそんな言葉に、幸村が僅かに俯く。
はじめは只、恥ずかしがっているだけだと思ったのだ。もっと困らせたくて何度も何度も好きだと口にするうちに気付いた。幸村は、本当に困っている。
「互いにしこりは残らんのか?」
ああ、その通りだ、三成。目を背けても問い詰めても、完全にまっさらになど出来ぬから途方に暮れて、それがしこりになるのだ。
何も儂は幸村に同じ台詞を返して欲しい訳ではない。伝えることをほんの少し怠けた為にお主が離れていってしまうことが耐えられぬだけなのじゃ。
「私だって、ずっと言いたかったのですよ」
幸村がそっと頭を振った。
自分のことを惜しげもなく好きだという政宗が羨ましくて、一生懸命言葉を探した。鼓膜を震わす彼の言葉が、どれもこれも自分をうっとりさせてくれるように、もっときれいで、もっとちゃんと「好き」だと伝えられる言葉があると思ったのだ。
でもそんなもの何処にもなかった。思い付くものは全て何処かで拾ってきたような陳腐なものばかりで、躊躇を繰り返した挙句、タイミングと行き場を失った自分の気持ちと、愛想を尽かされたらどうしようという恐怖だけが残った。
「先程、一番だと申し上げたでしょう?」
何かと比べて順位を付けているのではないのです。
それは何となくだが分かる、小さく頷いてみせたら、本当ですか?いつものように、はにかみながら小首を傾げる幸村と目が合った。
「私は、政宗どののことを何よりもお慕いしている、そう申し上げているのですよ?」
喧嘩の原因など覚えていません。幸村はいつだってそう言う。政宗だってそれは同感だ。そんなもの逐一言葉にするのも面倒臭いし、わざわざ思い出すメリットなど何処にもない。そんなこと言い出したらキリがないもので、いつ自分が幸村に惚れたのかも覚えていないし、付き合い出して初めて二人で出掛けた場所などもう疾うに忘れてしまった。幸村はどうか知らないが、自分がいつどんな顔をして幸村に好きだと言ったのかも正確には覚えていない。
少々強がりも含めて言わせて貰えば、自分の隣に優しく笑んだ幸村がいてくれるだけでいいと思っていた。
だが、「覚えていない」と口にすることと、本当に忘れてしまうこと。それは本来全く別のものではなかったか?
そんな簡単なことにやっと気付いたのに。
幸村の手をとったら、存外あっさり握らせてくれる。少し拍子抜けして肩の力が抜けたら、それまでどれだけ自分が息を詰めて緊張していたのかがやっと分かった。可笑しくて笑いそうになったのだが、実際まず零れそうになったのは涙で、慌てて飲み込んで再び手を強く握ったら、幸村がすぐ隣で声を出して笑った。
もしかしたら幸村は、今まで政宗が気軽に「好きだ」と口にしてきた場面一つ一つを大事に、正確に覚えていたのだろう。唐突にそう思った。そうして証拠も何もない筈のその勘は、確かに本当のことのように、政宗には感じられたのだった。
はじめて伊達視点ですなあ。
ずっと言い続けた理由も言わなかった理由も、そう違いなどありません。
(08/10/21)