けたたましく着信音を発する枕元の携帯を手繰り寄せながら舌打ちした政宗は、まだ半分ぼんやりした頭で今日が何の日かを思い出し、再度舌打ちをした。
クリスマス、じゃぞ。それも午前中。少し考えれば今がどういう状況か分かるだろうが。
「糞、三成め」
何だこれ、何の嫌がらせだ。
迷わず保留ボタンを押し撃退を試みたものの、敵もさるもの。間髪入れずにリダイヤルをしたらしく、無機質な着信音が再び部屋に響く。電源を切るどころかマナーモードにする暇も無かった。おまけに隣で目覚め始めた幸村が「五月蝿いです」と愚図りだしたものだから、とうとう政宗も根負けし、嫌な予感がひしひし漂ってくるその電話に出ざるを得なくなったのだ。
「貴様、一体」
どういうつもりだ。寝惚け眼を擦りながらもまだ布団に潜ろうとする幸村をあやすその手とは裏腹に、噛み付くように発せられた政宗の声は、電話口から響いてくる得体の知れない騒ぎに呑み込まれた。
「政宗か?すまぬが今すぐ家に来い!幸村もそこにいるな?さっきから幸村の携帯も鳴らしているのだが、いや、そんなことはどうでも良い。兎に角すぐに来てくれ!いいか?すぐにだ、頼んだぞ!」
三成が、あの三成が事もあろうに「すまぬ」などという言葉を発したこと(そもそもそんな単語を知っていたことが驚きだ)や、酷く慌てていたこと、そんなことはどうでも良かった。
隣で幸村もすっかり起き上がって自分の携帯を確認している。「あ、マナーモードになってました」いつになく申し訳なさそうに着信を確認する幸村だが、その着信が半端ない。一分と間隔を空けずに続けざまに二十回。そこでようやく政宗にターゲットを移したのだろう。
幸村の携帯の不吉過ぎる着信履歴を横から覗き込んでいた政宗が溜息を吐きながら呟く。
物凄く、嫌だ。今の電話ごとなかったことにして、このまま幸村を抱いて眠ってしまいたい。そのくらい嫌だ、心の底から、だが。
「…仕方があるまい、行くか」
「……ええ、そうですね…」
電話口で捲し立てる三成の後ろから聞こえてきた化鳥のような叫び声は十中八九兼続のものだ。携帯を耳に当てていなかった幸村にさえ聞こえる程の音量だった。
その合間に途切れ途切れに響く悲鳴は、多分左近らだろう。クリスマスだわ年末だわ、師も走り回るこの糞忙しい時期に人様の家で何を大暴れしているのだ、あの馬鹿は。
今にも雪が落ちてきそうな空を見上げて幸村が小さくくしゃみをしたので、政宗はその手をそっと取った。「何事か知らぬがさっさと終わらせて戻るぞ、幸村」――数分後にはその決意は随分甘いものだったと思い知ることになるのだが。
三成の家が見えてきた辺りから二人の足が一気に重くなったのは、緩やかな上り坂の所為だけではない。ひっきりなしに、という訳ではないものの、時折疑いようも無い奇声が耳に届けば、そりゃ歩みも遅くなろうというもの。
「フギイィィィ!」と響く声より、明らかに音量的に負けている呼び鈴を鳴らすと、三成が顔を出した。
「よく来てくれた」
まるで勝ち目の無い戦を挑んだ挙句、内部からの裏切りで崩れ去った敗戦の将よろしく、疲れきったその表情に胸が締め付けられるような心持ちがする政宗。
「もう分かっているとは思うが、兼続が大暴れだ」
そんなことは火を見るよりも明らかなのであるが、それ以外の言葉が思い浮かぶ訳もない。政宗も幸村も、神妙な顔で頷いてみる。
「随分落ち着いたのだが、さっきまで自害しようとして大変だった」
「なっ!」
だから何故それで此方に電話をする。いっそ警察に通報しろ、警察に。そのまましょっ引いて貰え。何の罪状かは分からぬが。
「取り押さえようとして郷舎が転んで頭を打った。左近も少し叩かれたようだが、そんなことはどうでもいい」
既に軽めの傷害罪は発生していた。
「昨夜大事に取っておいたクリスマスケーキの残りを床に叩きつけられた舞兵庫は、精神的に再起不能だ。奥で泣いているのでそっとしておいてやってくれ」
いや、むしろそっちがどうでも良いだろう。「何を仰います政宗どの!幸村は兵庫助殿に同情を禁じ得ません!」そう抗議の声を上げる幸村を三成が制した。
「兎に角、落ち着いたとは言えいつ再び興奮状態に陥るか分からん、絶対に刺激するな」
ああ、さっきまで儂はぬくぬくの布団に包まっていたのだ。昨日に引き続き、今日も一日幸村といちゃいちゃする予定だったのに。それが何故こんな、凶悪犯を取り押さえるかのような(強ち間違ってはいない)ぴりぴりした緊張感に包まれておるのじゃ。
「兼続はここに居る。開けるぞ」
そう言って三成は、沈痛な面持ちで襖に手をかけた。
政宗の家ほどではないがそこそこ広い(故に兼続がこんな騒音を発しても今のところ何とかご近所に通報されずにいるのだろう)石田家の一室に渦中の人物であるところの兼続が泣き伏している。
「あ、殿」
兼続の正面に座っていた左近が明らかにほっとした顔を覗かせるのに呼応して、兼続が泣き腫らした顔を上げた。そんな兼続から政宗が目を逸らした瞬間。
「幸村!共に死んでくれえぇぇ!ゆきむらあああ!」
左近と三成、そして政宗の一瞬の隙をついて、兼続が幸村に向かって飛び掛ってきた。
「幸村は儂のぞ!死ぬなら一人で死ね!」
咄嗟にそう叫んだ政宗も政宗だが、幸村の方が一枚上手だった。
「お断りします」
静かにそう呟くと、飛び掛る兼続を紙一重でかわし、後ろに回りこんで腕を捩じ上げる。
「いいぞ幸村!そのまま腕の一本でも折ってしまえ!」
「痛い痛い!放せ、放してくれ幸村!」
「腕と言わず首を折れ、幸村。俺が許す」
ちょ、殿!左近の制止も空しく、では失礼して、そう笑った幸村は兼続の首を締め上げた。「ギブギブ!このままでは死ぬ!死ぬから、幸村!」「おや、自害なさる覚悟がお有りだったなら良いではないですか」そんなお約束な遣り取りの後、幸村の腕から解放された兼続は、重い口を開き、涙ながらに動機を語り出した。
「幸村、幸村はクリスマスに何か贈り物を貰ったか…?」
少し早いが、と父には小遣いを貰い、兄には新しい手袋を買って貰った。あと、内緒だが、ケーキも。それが何か?兼続の真意が掴めず三成に疑問の目を向けた幸村に、三成も、はて、と首を振る。
「家にいきなりやって来て同じ質問をしたのだ。俺が『貰った』と答えたら突然暴れ出した」
「では山犬!」
親にはここ数ヶ月会っていないし、そもそも物を強請るような不自由など感じたことはない。厳密に贈り物という意味では貰っていないのかもしれないが。幸村のことを思い出す。
あれはきっと幸村にとっての贈り物だったのだろうし、少なくとも自分はそう思った、ならば。
「うむ。貰ったな」
「ふぎいいいぃぃ!」
政宗の返答に兼続が奇声を響かせる。
「私は何と言う不義!三成も幸村も、山犬ですら義であったというのに!この兼続が不義だとは!」
「ま、まさか兼続、貴様」
「今朝起きてみたら、私の義の筈の靴下の中身は空っぽであった!つまり私はサンタ殿に不義の烙印を捺されたのだ!このままでは謙信公に合わせる顔がない!私から義をとったら、愛しか残らぬではないか!」
うおおおおん!私など生きている価値がない!畳みに突っ伏して泣きじゃくる兼続の叫び声をBGMにひそひそと額を寄せ合う四人。
「兼続殿はまだサンタを信じていたのですね」
「サンタからの贈り物など、正気か?俺だって左近にプレゼント貰っただけだぞ、しかも饅頭」
「殿、それは左近のおやつを殿が今朝勝手に食べたんじゃないですか。それもクリスマスプレゼントって言うんですかい?」
「三成の饅頭などどうでも良いわ、馬鹿め!サンタなど居もせぬ妄想よ。さっさと目を覚まさせてやれ、左近」
「ちょ、政宗さん。俺に振るのは止めてくださいよ」
つべこべ言わずいいから行け、左近。そうですよ、左近殿の説得で兼続殿を真人間にさせてあげてください。
口々に急かされ未だ突っ伏したままの兼続の正面に座らされる左近。これ、何て罰ゲームですかい。
「あの兼続さん。非常に言い難いんですが、サンタなんて実在しないんでね。プレゼント貰うのは無理ってもんなんですよ」
言い難いなどと言いながら、左近が真実をあっさり口にする。だが左近の言葉に耳を傾けるような兼続ではなかった。
「そうだ、その通り!不義の私めにサンタ殿の存在は無いも同然!これは面白い!あはははは!皆、この私の不義を笑うが良い!」
「左近、どういうことだ。更に手が付けられぬ感じになったではないか!」
「兼続の馬鹿め、目がやばいぞ。幸村、危ないから近付くでないぞ」
「え?左近の所為ですか?殿が説得すれば良いじゃないですか、お友達なんでしょう?」
「いっそ兼続殿の不義を皆で笑ってみましょうか。本人もああ仰ってますし」
こうして三成らと兼続の間を数度往復させられた左近だったが、全く効果はなく、その後三成自身が説得を試みたり、政宗が罵倒したり、幸村が指をさして笑ってみたりしたのだが、仕舞いには此方が疲れてしまう始末。
朝っぱらから夕方まで大声で泣きじゃくれる兼続の体力は半端ない。
「そうだ、兼続。昨夜サンタが興味深いことを言っていたのを忘れていた」
もう気分は保育士である。聞き分けの無い駄々っ子をあやすかのように、三成が捨て鉢に語り始めた。
「今年は特別に義士が多かったので、数度に分けて贈り物を配るそうだ。もしかすると兼続の分は今日明日くらいになるのではないか?」
兼続の泣き声がぴたりと止んだ。
「そうじゃった!儂もそのようなことを聞いた覚えがあるぞ」
「はっ、はい!私も聞いたような聞かなかったような気がしたりしなかったりで多分大丈夫ですよ、兼続殿!」
「本当か、幸村?!」
あっ、馬鹿、よりによって一番嘘を吐くのが下手な幸村に聞くでない。
政宗が小声でそう罵ったが、兼続に肩を揺さぶられた幸村は曖昧な笑みで何とかやり過ごした。わざとらしさ抜群の幸村の表情も、舞い上がりかけ節穴と化した兼続の目には自然な笑顔に映ったのだろう。
俄然元気を取り戻した兼続は、ごしごしと涙を拭くと拳を振り上げ声高に宣言した。
「では私の義はまだ敗れた訳ではなかったのだな!はっ、こうしては居れぬ!サンタ殿がいつお見えになっても良いように、家中を整えて早速就寝するとしよう!義の心は早寝早起きから!そなたらもぐずぐずせず早く帰宅するが良い、ではな!」
正に台風一過。取り残された四人は暫くその場に佇んだまま放心していたが、幸村が発した一言でまたもや大混乱に陥った。
「…あれで明日の朝も明後日の朝も靴下が空っぽのままだったら、もう自害確定ですね」
「!!」
「そうしたらまた三成殿のお宅に押し入って、一騒動繰り広げるんでしょうか」
恐ろしいことを言うな、幸村。
三成がわなわなと震えながら制したが、幸村の予感が確実に大当たりするであろうことは、他でもない三成自身が一番肌で感じていた。政宗なんかは「良いか、儂は無関係ぞ」と早々に三成に釘を刺す。
ふん、友達甲斐のない奴め。いつ友達になった!と喚く政宗と、その隙にそっと部屋を抜け出そうとした左近をしこたま鉄扇で殴り付けると、三成はクリスマスには到底似合わぬ暗い声でこう宣言した。
「こうなったらもう仕方が無い。俺達がサンタになろう」
僕が目になろう的な。あと一回続きます。
(08/12/25)